2018-07-30 Mon
本格的を知らなかったとは言え、小さい頃に見た感じの迫力は何だったのかと考えてみると、やはり見ていた場所が大きかった。既にビルは建ち並んでいたわけだから通行止めになる幹線道路から見える場所はほとんどなく、見える場所は通行止め時間の場所取り合戦がテレビ中継される。言問団子屋の近くの車道も完全に宴会場になってた。そうした親戚の多くも女の子だけで全員が嫁に出てしまったり、押し寄せる相続税で転居するなど誰もいなくなってしまった。こうして江戸っ子って絶滅へ向かうのかと切ない思い。
さておき花火のほうだが、親戚宅からだったが花火のカスが降ってくるようなところで見ていたのは小学生の低学年だったか、体も小さく近くで見たことで体感が違っていたのだろう。別の旅のついでにビデオを撮ったくらいじゃなく、花火の写真に足を突っ込んでしまったのは2010年だし、回数からしたらまだ初心者マークは外れてないだろう。
だから大きな子となって外界を見てしまったからには相対的と絶対的の両面から地方へ旅立つようになった。花火の玉が大きくなくとも建物が密集してる隅田川より近い場所で見れる場所があるし、なにより江戸っ子の血が流れ、待つとか並ぶが大嫌いな側として場所取りが楽ってのは大きい。
どうにかしろと言う気は全くなく隅田川花火大会は宴会場でいい。
他所のかぶりつき観覧席までで歓声じゃない雑音を発するのはお願いだからやめて欲しいものだ。
| emisaki | 2018-07-30 Mon 22:10 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
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