2018-02-14 Wed
テレビ番組の録画してあったのを消化してたら「モテ仕草」なんてやってたから思い出したが、贈り物にLoveビーム乗せて渡すが近くに別の方がいたとき「○○ちゃんの分もある」なる気遣いにはLoveビーム出尽くしたことがある。私も配慮はするから複数用意してるが完璧とは言い難く次は別々に用意した。誰々の分はないって事態ならどうするかのほうが気になり想定問答から良くない事態は避けるよう考えるのが一番...友達感覚なら平等なんだけど、好きな人がいると一直線になってしまうから周りに対して塩対応かのよう見えてしまうこと。だからって節操ないことができない。その分野で有名な石田純一師匠はどうしてるんだろう?
別件で、当人もお気に入りの写真を撮ったとき、深く座ったからチラチラしちゃったけど周囲に多くの人がいて聞こえちゃうから直接表現はできず、瞬間に言葉が見つからないから「ちょっと使えないよ」とだけ言ったのに即座に感じ取った頭の回転。そうやって可愛い子は深く考えもせずに男を虜にするのであった。
人によって好みの感じ方は違うでしょうが、テレビ番組からも大勢の共感は確かだった。「モテ仕草」するから可愛く見えて好きになってしまうのか、可愛いから何でも無いのが「モテ仕草」に見えるのか?
この方向性は謎であるが、私が前に分析したように本当に可愛いと思った子ほどカラコンなんて入れてないし、カラコン入れてるとグレイ(宇宙人)みたいに異質に感じる。使ってないから好きになる可能性が高く残るが、使ってると「不気味」にしか見えず可能性すら消えてしまう。
それはずっと前から名古屋で感じてたことで、よく行く近くに大学があったから大勢見ることが多くて思ったわけだが女子大生のほとんどがキャバ嬢にしか見えないくらいケバイ状態で東京では見られない。一緒に東京から行ってた友人も同じ思いだったし、それを後で立証してくれたのがテレビ番組の企画で名古屋で隠れ美人の掘り起こしだった。関東的には女性からを含めて絶賛だったが、変身させたわけじゃなく普通に戻しただけだから地域性の大きな勘違いは隔たりを生むようだ。
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