2018-12-14 Fri
2018年12月14日放送 SBSニュース「街から歩道橋が消える? 静岡市でお別れ会」ニュースとは違うが児童の安全のため学校の近くでは歩道橋のみならず道路の下にトンネルまで作られている場所があり、学校の御触れによって安全のため歩道橋があるところに横断歩道があっても渡ってはいけないことになっていたりする。別の道があるとき危険性の高い道路を通ることも禁止されてた学校もあった。
せっかく交通戦争と言われた酷い時代から脱するべく、人命と都市構造を両立させるために作られた歩道橋を撤去するなんて本末転倒も、いい加減にしろと言いたい。自動車の脅威は変わらず存在している。交通システムが事故数、死亡者数を減らしただけで運転手の意識が変わったとは考えにくい。前にも問題視したが、若い頃に都会にやってきた連中が年寄りになって何かと都会のシステムに文句をつけやがってる。いや、それ以前に都会に出てきがやった奴は歩道橋を無視して道路を不法横断。私が都会にいる田舎者を敵視しているのは不道徳や犯罪者だらけであるから。
ニュースのタイトルにあるよう歩道橋の撤去は全国で起きているが老朽化だけが理由ではない。SBSの報道によると歩道橋の補修には2000~3000万円かかるそうで撤去することになったそうだ。ちょっと高すぎるので歩道橋の値段を軽く調べてみたが、役所はぼったくれる相手向けだけに隠されてるのか明確な金額はわからなかったが、概算価格から修復費としては高すぎであり新しく作れそうだから役所は撤去ありきで意図的に高く言いたがってるのかもしれない疑惑。バリアフリー法を精査してないが新しく作ると法律を守るためエレベーター設置が必須となるのだろう。
エレベーターの値段に比べたら歩道橋の値段はそれほどでもないのは確か。そしてエレベーターやエスカレーターは設置すると維持費がかかる。人目につきにくい場所だと破壊を企むような連中の出没も危惧される。何らか補助金で設置しまくっても財政を苦しめることは確かだ。
私が感じ取ってきた世間の人間の悪行から、なぜ歩道橋が必要なのかを説く...
・強制力を持たせすぎたバリアフリー法による歩道橋の撤去で危険性を増すのは郊外
きっとこれも狂ったFIT法のように、こんなに業者が参入してくるとは思ってなかったなんて政治家どもはひと事のように話すのだろう。それで選ばれたから市民の責任って具合にね。まさかバリアフリー法によって人命を守るために作った歩道橋が撤去されるなんて思わなかったとでも。 むかしむかし交渉してはいけないテロリストに巨額を使って誘拐された5人救いました。めでたしめでたし、な訳ねーだろ。そして得られたもので作られた原爆や水爆で恐怖のどん底に突き落とされましたとさ。もし、ぶち込まれてても責任は取らないし取れない。いつもの通り、ものすごい印象操作によってアホな国民は一緒に良いことをしたと現時点でも思い込んでる。
私には政治を動かす権力がないので疑問を訴えかけるしかないのだが、少数派のことを考えるという精神には賛同するが、少数派の命救うではなく楽にするために多数の命を危険にさらすという考えには全く賛同できない。勝手な主張は受け付けないが、こうした考えに反証を持ってして決定的に難があると言うなら俺はいつでも受けて立つ。
人間の社会構造ってハダカデバネズミ と似てると思ってきたが違ってた。ハダカデバネズミは天敵に襲われたとき個体ではなく彼らの社会構造を守ろうとする。そうしないと崩壊してしまうから。なぜか人間は家族単位だと犠牲になって守れるが社会(国)になるとできなくなり社会全体を危機にさらす。ひと事で考えているからでしょう。
下手な綺麗事の取り決めが恐ろしい結果を招いている。
日本人は、さんざん下に見てきた中国人化してるようにしか思えない。
→ 静岡県静岡市葵区井宮町 安倍街道 妙見下交差点 [Googleストリートビュー]
撮影時点(2018年8月)のGoogleストリートビューでは見られないがニュース映像から横断歩道ができていた。元から歩道橋は交差点の片側のみで反対側は横断歩道だった。この各所にある典型的に悪い構造は、今まで逆側の横断歩道を使うならば3度信号を通過することとなり歩行者の違法横断が横行していた感じがする。
子供や高齢者は自己中が炸裂しやすい。それは違法横断事故からも明白となっている。まだ社会道徳を会得してない、そして道徳を忘れた世代、「危ないから遠回りしろ」が通用しない人たちがいる。人間のせいだけにはしないが、地方であると、そもそも歩道橋どころか横断歩道(信号機)すら延々とない道路が当たり前だ。違法横断をせず50メートルくらい先に行けば信号(横断歩道)がある都市部ですら、信号まで移動せず違法横断が横行する場所も多く恐ろしい結果を招いている。
個人的な研究だが、地方の人間ほどと、高齢化するほど時間経過の予測能力が欠如している。東京駅などの混雑地帯を連日のように通っていると、歩きながら対向者を予測して追い越せないと判断したから前の人に合わせてゆっくり歩いているのにも関わらず、俺の後ろから追い越そうとしてぶつかってしまう状況を何千、何万回と見てきた。
外国人が渋谷のスクランブル交差点でぶつからないって騒いでるのを見たことがあるが、あんなのは序の口。自動車の運転能力においては更に桁違いの判断能力が必要である。この推測能力が低いのに交通量の激しい道路で右折しようとして間に合わずにオフセット衝突や側面衝突が起きる。歩行でも危険だが、まだ救われるほうで、自転車や自動車となれば生命に関わる能力欠陥となる。だから、幼稚園児とイチロー・大谷の野球くらい能力が違うのだと受け入れないと対策は進まないでしょう。致命的な能力のなさを甘く見すぎている。
最初っから都会に毒されてる私には理解できない田舎の良さもあるのはわかってる。しかしながら、その環境下で自己中心的に育ったのが大勢の社会に解き放たれたとき、東名高速あおり死亡事件を代表とし懲りずに極悪あおり運転が起きるよう怪物を作り出している。こちらなら違法行為を働く奴に怒り飛ばすが、クラクションや日常的である割り込みくらいでいちいち怒らない(導火線がない江戸っ子がだよ)。報道が大きくなって他の被害映像がたくさん投稿され悪党は一部とか言ってられない。執拗に追跡してまで脅すような怪物ができあがってることを非常に重く見るべき。
こんな状況でも歩道橋は撤去される。 命をもってしての学習に期待できるだろうか?
これは私が語るような緊急事態に必要な犠牲なんかじゃない。
・バリアフリー法の罪 (考えの甘い状態での権力による強制)
ニュースからは聞けなかったが既に問題視して投稿済みなよう バリアフリー法の罪の部分によって法律に従うには補修では済まず通行量次第ではエレベーターを設置する必要がある(スロープや別の手段もあるが都市部では空間として不可能)。東京都内の財政ですら交差点、歩道橋の多さからエレベーター設置は修復費どころの騒ぎじゃないため撤去して横断歩道に戻るという危険性を増す結果となった。
静岡市と言っても歩行者の通行量が少ないところに財政面もあってエレベーターなんて設置できるとは思えない。各地を見てきた経験から地方都市で感じる恐るべき運転も、日常的すぎるのと滅多に警察官にも出くわさないからか脅威は変わってない。
静岡駅の北口だって元は地下道が解決策で、バリアフリー法があってのエスカレーターとエレベーター設置ではなかろうか。地域によっては地下ではなく歩道橋の間が繋がって大きな空中広場になってるほうが多いのではないか。そんなことは駅前でしかできない。
・人口が少ない場所で植え付けられる自分勝手な人間が引き起こす罪
歩行者が少ないのに事故率が高いのが地方都市地周辺である。本当の田舎も無謀運転が多いのは判明してるが人口が少なすぎて事故データからは判断しにくい。地域別の人口 対 交通事故(10万人当たりの交通事故率)から推論できることは、大都会は混雑によって抑え込まれているのが救いであるが路地を平然と猛スピードで走れる異常者(推定、移民者)は増えた。それよりも危険行為に向かさせてしまうのは日頃から好き勝手な行動がなされてる地方都市なのだ。
『日常的に誰からも注意されることなく自分勝手な事をしながら育つ』 これこそが交通問題のみならず全ての悪の根源である。突如として人間が増えた東京近郊の地域では歩道橋を渡らず自転車と共に道路を無断横断する輩が激増して問題になっていた。近年で中国人レベルの悪行が目立っているのがタワーマンションが乱立した地域であり晴海~豊洲、武蔵小杉であるが、古くからの新興住宅地では地元とやらの人が住んでいないため自覚できない街となった。
藪を突いて蛇を出すどころか招いて集めちゃうから毒だらけになる。
本日判決が出た東名高速道路上でのあおり運転による事実上殺人事件、新百合ヶ丘 女子大生手放し同然のよそ見自転車運転の事実上殺人行為の共通点として、まるで反省の色が見えないことがあり、また同様に自覚なき連中は事件があっても連日のように同じことを繰り返している。
事実上の殺人犯と同じ行為を繰り返せる奴ら 狂いすぎてて分析すらできない
ヘッドホンステレオで音楽聴きながら、スマホ画面みながら歩行および運転、雨なら傘をさして運転と「犯罪」行為を見ない日がない。生まれてからずっと自己中を繰り返してきた連中が他人に配慮する必要がある場にやって来たときの脅威をわかるまい。
何が悪いかも理解できず、自分勝手にやってきたのを他人がいる場所に出向いて迷惑行為をしておきながら突然とがめられるからキレる。交通以外でも東京23区は歩きタバコは全面禁止であるし、多くで路上喫煙自体が禁止なのだが、自由気ままに吸ってきた連中が東京へやって来てそのまま勝手な行為を続ける。こうした流れが悪の根源。この外国に行くも等しい違いは教育なんかでカバーできるとは思えず、政府や市町村レベルでも理解すらしていない。
わかってたら予算がないで歩道橋を撤去できないし、歩道橋なんて面倒くさいって違法横断する連中を野放しにしてきてはいない。その末路が都会にやってきての「赤信号みんなで渡れば怖くない」という集団不道徳行為。
ニュースを見てるはずだが悲惨な事件が起きようとも毎日自転車が歩道を爆走し続けてるし、きのうも、あおり運転をした上に警察官を羽交い締めにして逮捕者が出るなど同じことを繰り返す自覚症状がないのは頭の病気。私が過去にエボラ同然と表現したことは過言ではない。
山奥で暴れてても被害者に出くわさなかっただけで悪事を働いており脅威は存在していた。開拓して出現した怪物を世に放ったから恐るべきことが起こってる。それがニュースになっても止めどなく現れる「あおり運転」なる怪物。この病的症状は例え刑罰を重たくしてもなくなる見込みがない。地域性が高い状況証拠はありすぎて言いがかりではない。
東名高速あおり運転による死傷事件のきっかけで犯人が道路を塞ぐよう身勝手に駐車していたとあるが、当方ならそんな駐車は考えられないこと。みんな座って見ているのに平然とひとの前に立ちはだかる奴、座ってるがベビーカーを立てて視界を塞いだり、風船持ってるなど後ろの他人の視界に何ら配慮もできねぇ連中を問題視してきたが、他人の事を考える能力がない人種は概念が狂っており、いつでも不道徳から犯罪者となる可能性がある事を受け入れれば解決策も見えてくる。自転車、自動車運転の前にマトモに道が歩けてるかどうかから考えてくれ。それくらい程度が低いのを理解できないと事件は起こり続ける。
もし、私が語る概念や道徳性を持ってして田舎の人たちがルールに従ってくれれば、都会なんぞより桁違いに暮らしやすい場所にできる可能性がある。誰もいないから信号なんて守らない、誰もいないから好き勝手に大音響を鳴らすとか言ってるから、そのまま他所に自分勝手を持ち込む怪物になってしまうのだ。問題点を並べ立てればテレビ番組の印象操作が大きすぎることは明瞭になる。
田舎だろうと都会だろうと大勢の他人のことを考える教育ができなければ怪物は出現し続ける!
・みどりのおばさん
静岡市葵区 安倍街道だが、どう見ても危険。園児が一人ってことはないと思うが、小学生ともなれば一人で渡ることは有り得るわけで、最近は全く見かけないんだが通称「緑のおばさん」とやらは、いったいどこに消えてしまったのか? 高齢化社会なのだから「緑の爺さん婆さん」なら配置できるんじゃないでしょうか。状況判断が著しく衰えているという点からは推奨はできないが誰もいないよりかは良い。
歩道橋の撤去と過去に戻したのならば、過去にはどこにでもいた みどりのおばさん とやらも復活させる必要がある。
・解決策は己を知ること
『田舎から東京に出てきた奴が東京に住んでいる田舎者の真似をしてマトモだと思ってる』
だから下衆の極みである「耳を塞ぎ目も塞いで歩く(ヘッドホンステレオ、ながらスマホ)」ような行為が格好イイなどと見えて真似をするクソガキどもがのさばるのである。地方都市で平然と行われてきた不道徳が、即座に危険につながる東京でも平然と行われるようになった。
なぜ本物の都会人が代々経験の積み重ねから会得した都市生活を真似しようとしないのか?
これから東京に来る少しでも真っ当だと思ってる奴は、人の振り見て我が振り直せないと思え。9割以上が都市生活不適合者だと思っていたほうが安全である。他人への配慮がわからないから事故を誘発してエスカレーターも歩けなってなってしまったのだ(地下迷宮東京には階段がない場所もある)。赤信号みんなで渡れば怖くないって自分勝手な馬鹿野郎どもが増えなければ、もっと都会として確立した方向性を歩めた。
この悪循環が江戸時代に日本で唯一の集団生活ルールを得た江戸(東京)を転落させた。だから線を引かないと一列に並べない。法律みたいに、あれ駄目、これ駄目では解決せず、正しい概念さえ持っていれば、ごちゃごちゃ言わずして集団社会での道徳な行動ができるのだ。
歩道橋の撤去からの脅威は、ほんの一部分。
歩くだけでも俺の逆鱗に触れる奴が多すぎる。なぜ代々と都会にいた子孫は別段教育されてなくても理解していて、都会の状況下で生まれたのに地方出身者の子孫は駄目なのか? 人の振り見て我が振り直せない連中に囲われているからだろうか。私は後天的学習の違いではなく遺伝的学習能力の差である理由を推している。通勤で整列乗車してるような奴らが、一転して休日になると腐った奴に成り下がるのも根っから理解してないから。
・他人の生命に関わる頭のご不自由な方は捨て置けない
あとは理解できなくても我々の指摘を素直に受け入れ、政治も動いてくれるかだ。車に挨拶する児童なんて紹介されるけど小学生を過ぎればなぜかそういうところから脱落者が続々と生まれてくる。小学校で、事故の演技を見せる教育を行っているが、残念ながら腐った中高生から大人ばかりを見てると功を奏しているとは全く思えないのであった。
あおり運転なんてするような連中の人間性、地域性や育った環境を研究すべき。個人的だが、「名古屋走り」って言葉もあるくらいな名古屋周辺で乗ってきたタクシーや路線バスの運転手の人間性の違い。乗車回数が少ないのにも関わらず、よーくわかったよ。バスやタクシーじゃない路上でトラブル現場に遭遇した回数は東京に住んでいるのに大阪や名古屋のほうが多かった。
GT-Rで時速300キロや自称トイレ行きたくて時速169キロなモンスターを生み出すような環境とは? 後者は議員なわけだが、実に頭が悪いのも時速169キロ出すよりも路肩駐車のほうが罪は劇的に小さいのである。例え学業が優秀でも、こうした判断能力のなさが現代人から消えた。
自動車側の信号が赤だからって安全ではない。私は大通りで自動車の信号無視により、エンジン音やブレーキがかかったときの違いに気づかなかったら死んでたかもしれない経験がある。
歩道橋を撤去して、こんな恐ろしいところを歩かせようとする。
・歩道橋を設置したのはなぜか思い出すべき (私には昔すぎてわからないから)
歩道橋の撤去はヤバイよ。必ず事故が増えると予言しておきたい。田舎の人って都会の交通量に恐怖するのだが、田舎の恐るべき運転のほうに恐怖すべきである(人口が少ないのに事故率が高い)。誰もいないと高をくくって確認を怠りスピード違反、そして歩行者も同じように考えるから交通量が少ないのに事故が起きる。飛び出し注意の看板が設置してある地域性は明白。
苦肉の策の歩道橋撤去しての横断歩道は爺さん婆さんのわがままを聞いて若年層が死ぬことにつながる。まさか子供の安全より自らの楽を取るほど狂ってしまったのだろうか。役所も断片でしか物事を考えないで決めてしまうから、これに限らず問題を大きくするのが目立つ。現代社会の悪い傾向で、物事を俯瞰して見ることができないからだ。
私は日常的に使っている経路をずっと見てきて、昔はとんでもない連中を見かけることもなかったのに、いつしか、バリアフリー法の以前から単に激増した自己中集団の違法横断行為があった。そのあとバリアフリー法の施行もあり、駅の近くな大通りの交差点であるのに関わらず、なし崩しに歩道橋が撤去されたとしか思えない場所を見た。弱者の救い方を間違えてるとしか思えないのであった。
体のご不自由な方への配慮は大切であるが、その前に健常者の無知と自己中行為への躾が先!
| emisaki | 2018-12-14 Fri 22:39 | 生活::暮らしと社会問題 |
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