2018-12-29 Sat
毎年のように餅を詰まらせて死ぬとかいうニュースが入ってくるので外国人からは馬鹿じゃねーのと言われてるくらいだが、過去にこんにゃくゼリーが責め立てられて餅の販売が責められないのは非論理的だ。難癖レベルな訴訟大国アメリカなら訴訟が起きる。餅が自己責任だったら、こんにゃくゼリーも同様であり、子供が死んだからってマスコミは感情的であり親の責任を問わないのもおかしかった。そう考えると、不条理すぎて開いた口がふさがらないのが、どんな状況であろうと対人事故を起こすと自動車のほうが悪くなることだ。自転車運転手は100%犯罪(違反してる)だとか自動車運転手の酷さを取り上げてきたものの、酔っ払いが突然車道に出てきたとか路上に寝っ転がってて気づけないとか止まれない状況で罪に問われるなら法律は異常である。そんなことで私は自動車を運転しない。これが旅の調査で公共交通に拘る理由。
極端な例だが、何らか逃走犯が走行中の自動車から誰かを突き落として後続の車に引かれてしまっても罪に問われる。そういう極端な例だけに不起訴になる可能性も高くなるが、過去の事例を報道や記録で見てきても不条理すぎが多い。
酔っ払いは世界的に見れば自らの管理能力がない罪であるが、日本の場合は少々の罪すら許されてしまう異常。警察24時ふうな番組で先日に船橋駅前の交番が取り上げられてたが、飲んで金がなくなったから金を貸せって言ってきた酔っ払いが、そういう理由じゃ貸せないとなったら傘の先を突き立てても拘束に至らないのが日本である。酔いは本性がむき出しになるのだから甘やかしが次の犯罪を生む。刑罰が必要なのだ。
酔っ払いが道路に寝転んで車に引かれる事件、あれは酔っ払いの責任で車の責任はゼロであるべき。
| emisaki | 2018-12-29 Sat 00:10 | 生活::暮らしと社会問題 |
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