2019-04-14 Sun
当時から言ってたのに、まだやってるのか!時代遅れもはなはだしいってのが第一印象である。私が中学受験の頃はもっとひどくて野球部でもないのに丸刈り(スポーツ刈り)が強要されていた学校があったが、近年にそのスポーツ系のパワハラで世間を騒がせた大学の付属校である。こっちからお断りしたが別にロン毛で学校に通わせろって言ってるわけでもなく、時代遅れじゃなければ日本の校則ってのには一理ある。
学ランってやつも実に学業の邪魔をしてきて、経験としては規律とは別次元で、強制的に体を縛られているようなものだった。特に首は常に締め付けられて学業どころではなかったのを思い出す。そこに全く価値がないのは現在の学生の人間性を比較すれば明白である。
軍隊式のような教育方法は私の学生時代より前から既に時代遅れだったのも、落伍者を多数出してきた社会を写したドラマ「3年B組 金八先生」での校内暴力で中学生が連行されるなんて内容が物語っていた。学生時代には校則にぶつぶつ言おうとも後になってみれば規律として必要だと感じるのは外国の酷い有様を知ったからである。決めなければできない稚拙化したこともあるが、あまりにも時代遅れな校則が多いのも、また事実。
外国のほうがイカレた時代遅れが多く「自由」と「勝手」をはき違えてる。日本は外圧に弱くて、よく考えもせずブツブツ言われたら容認って政治のみならず社会全体の傾向として怖い。入れ墨で公共浴場に入れないとか言ってくるわけだが、体への「刻印」や「金属の棒」を突き刺すなど自分で家畜化であり、それをファッションと語るのは単なる未開人である。このような点でも日本においても線引きができない人間が増えすぎた。未開人の代物と言えば「ヤク」もあるがマスコミを賑わす逮捕の相棒も違法じゃないだけで人間性としては同次元だった。外国人自身がよく言うではないか、惑星日本と。「地球とは違うのだよ地球とは!」と強い言いたいところだが、現実には偉そうに言えない筋違いがあり恥ずかしい。
外国人を客に考えようとも時代遅れな思想に合わせる必要はない。わからせることができるのは地球上に日本くらいしかない。外国人は日本を賞賛するくせに、自分たちに宗教や入れ墨など未開思想があることを認めようとしない。そして未だ欧米優位思想が残る日本は逆行するように真似を開始し腐敗している。
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軍隊式のような教育方法は私の学生時代より前から既に時代遅れだったのも、落伍者を多数出してきた社会を写したドラマ「3年B組 金八先生」での校内暴力で中学生が連行されるなんて内容が物語っていた。学生時代には校則にぶつぶつ言おうとも後になってみれば規律として必要だと感じるのは外国の酷い有様を知ったからである。決めなければできない稚拙化したこともあるが、あまりにも時代遅れな校則が多いのも、また事実。
外国のほうがイカレた時代遅れが多く「自由」と「勝手」をはき違えてる。日本は外圧に弱くて、よく考えもせずブツブツ言われたら容認って政治のみならず社会全体の傾向として怖い。入れ墨で公共浴場に入れないとか言ってくるわけだが、体への「刻印」や「金属の棒」を突き刺すなど自分で家畜化であり、それをファッションと語るのは単なる未開人である。このような点でも日本においても線引きができない人間が増えすぎた。未開人の代物と言えば「ヤク」もあるがマスコミを賑わす逮捕の相棒も違法じゃないだけで人間性としては同次元だった。外国人自身がよく言うではないか、惑星日本と。「地球とは違うのだよ地球とは!」と強い言いたいところだが、現実には偉そうに言えない筋違いがあり恥ずかしい。
外国人を客に考えようとも時代遅れな思想に合わせる必要はない。わからせることができるのは地球上に日本くらいしかない。外国人は日本を賞賛するくせに、自分たちに宗教や入れ墨など未開思想があることを認めようとしない。そして未だ欧米優位思想が残る日本は逆行するように真似を開始し腐敗している。
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| emisaki | 2019-04-14 Sun 18:34 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-12 Fri
2019年4月12日 フジテレビ「Live News it!」を見て (関東ローカル時間帯)テレビは宣伝しかしないを物語るようにドミナント戦略による企業の利益を語っていたが、そこに客の利益は何もない。まず住吉駅を東西にローソンが並んでいること、そして豊島区池袋でファミリーマートが通りを挟んで向かい合うと。セブンイレブンは大田区と江東区が取り上げられたが集中してるのが都合良くわかるからでしょう。
私が前に例に出した亀戸駅前を取材していたが、駅の近くなら他店がひしめき合っていても生き残れるから住宅街で取材すべきだった。セブンイレブンに取り囲まれてると、どの方向へ200~300メートル歩いてもセブンイレブンしかないってことになり、その先もまたセブンイレブンで、他店に行くのに下手すると1kmくらい離れてる場合がある。
集合住宅が何棟もある地域だと敷地内にコンビニ店舗があることはなく、また隣接して小中学校があると場所を食ってるため更に商店がない。地方の人ならコンビニに行く程度で自動車を使いそうな数百メートルの距離になる。
ところが一戸建て住宅街となると、自宅を例に語ればセブンイレブンは150、250、500、600、650メートルで、最も近いファミマが650メートル同距離2軒とローソン700メートルである。だからドミナント戦略をされると飽きてくるので駅前で買ってから帰るという従来と同じ買い物スタイルになり、ならばコンビニに行く必要がないとなる。近くに必要だが多様性も必要。
ドミナント戦略で客が増えるって言うならば、買い物難民は作ってないが独裁化によるもの。客として選択肢が奪われている点で「コンビニエンス」なんかではない。昔を振り返れば別(他社)の店舗もあったが、コンビニ企業も廃業や統廃合により閉店したことでドミナント戦略が色濃く出た。
少子高齢化ならば今後も東京にしてもガンガン潰れてゆくでしょう。店舗が過剰にあるのだから当然のことで、東京の住宅街であっても特定の地域へ行くと、今度は店舗が必要なのに存在しない場所がある。
反対に郊外の新興住宅地なんて行けば最初からコンビニなんて考えられてないため、大型店の出店場所が確保されてるだけだから大勢が住みながら、コンビニがあっても開発敷地外になるため最初から立地条件が良い場所に家を買ってないと悲劇。都心部と同じ密度で家が建ち並んでいるのだから人口密度も同じはずなのに、半径500メートルの店舗数は何倍も都心部のほうが多い。
千葉ニュータウンやユーカリが丘とか言っても計画したのは昭和ですから住宅地の途中に何か予備地なんて概念がない。庭があっても区画としてビッシリ家が詰まってる。そして全国で昭和の集合住宅とかからはスーパーマーケットなど撤退の報道を聞くことがあり、当時の入植者は高齢化して買い物難民を作り出すことになった。特定の住宅地ともなればコミュニティーバスなんかも立ち入らないから自宅の場所によってはバス停まで数百メートルも歩くことになる。郊外に作ったくせに酷すぎる構造はよく見かける。ユーカリが丘は販売をずらして年齢層を変えたってことだが、商業地は駅前にまとまって住宅地は延々と住宅のみと時代遅れの構造。新興住宅地って規模が大きいほど駅前と奥地での格差が激しい。
どこに出店しようが住んでいる場所によって善し悪しは出るわけだから、出店しても客が集まらない地方ほど各社が既に始めているデリバリーサービスが主力になってゆきそう。もちろん都心部でも高齢化の人数が多いため必要。
そこで店舗や配達の話とは逆であるが、客のほうを動かすビジネスを考えてみた。コンビニまで行くのさえ大変と同じように、バス停まで行くのさえ大変なのであるのなら、路線バスはルートが限られているから東京でこそデマンド型の交通が必要で、住宅街まで入れるような小型車で病院や商店街へ回れるようにしたらどかと思う。いっそのこと病院に商店をくっつけてしまえばよい。
昔に言われたギャグそのままで、本当の病人は入院してるか家から出ないかで、そこそこ動ける老人は病院に集まる。土地がある地方じゃないと病院へ路線バスは通ってないことが多い。一部の病院は独自に送迎をやってると聞いた。だから病院へいくついでに買い物も済んだら高齢者は一石二鳥ではなかろうか。
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ところが一戸建て住宅街となると、自宅を例に語ればセブンイレブンは150、250、500、600、650メートルで、最も近いファミマが650メートル同距離2軒とローソン700メートルである。だからドミナント戦略をされると飽きてくるので駅前で買ってから帰るという従来と同じ買い物スタイルになり、ならばコンビニに行く必要がないとなる。近くに必要だが多様性も必要。
ドミナント戦略で客が増えるって言うならば、買い物難民は作ってないが独裁化によるもの。客として選択肢が奪われている点で「コンビニエンス」なんかではない。昔を振り返れば別(他社)の店舗もあったが、コンビニ企業も廃業や統廃合により閉店したことでドミナント戦略が色濃く出た。
少子高齢化ならば今後も東京にしてもガンガン潰れてゆくでしょう。店舗が過剰にあるのだから当然のことで、東京の住宅街であっても特定の地域へ行くと、今度は店舗が必要なのに存在しない場所がある。
反対に郊外の新興住宅地なんて行けば最初からコンビニなんて考えられてないため、大型店の出店場所が確保されてるだけだから大勢が住みながら、コンビニがあっても開発敷地外になるため最初から立地条件が良い場所に家を買ってないと悲劇。都心部と同じ密度で家が建ち並んでいるのだから人口密度も同じはずなのに、半径500メートルの店舗数は何倍も都心部のほうが多い。
千葉ニュータウンやユーカリが丘とか言っても計画したのは昭和ですから住宅地の途中に何か予備地なんて概念がない。庭があっても区画としてビッシリ家が詰まってる。そして全国で昭和の集合住宅とかからはスーパーマーケットなど撤退の報道を聞くことがあり、当時の入植者は高齢化して買い物難民を作り出すことになった。特定の住宅地ともなればコミュニティーバスなんかも立ち入らないから自宅の場所によってはバス停まで数百メートルも歩くことになる。郊外に作ったくせに酷すぎる構造はよく見かける。ユーカリが丘は販売をずらして年齢層を変えたってことだが、商業地は駅前にまとまって住宅地は延々と住宅のみと時代遅れの構造。新興住宅地って規模が大きいほど駅前と奥地での格差が激しい。
どこに出店しようが住んでいる場所によって善し悪しは出るわけだから、出店しても客が集まらない地方ほど各社が既に始めているデリバリーサービスが主力になってゆきそう。もちろん都心部でも高齢化の人数が多いため必要。
そこで店舗や配達の話とは逆であるが、客のほうを動かすビジネスを考えてみた。コンビニまで行くのさえ大変と同じように、バス停まで行くのさえ大変なのであるのなら、路線バスはルートが限られているから東京でこそデマンド型の交通が必要で、住宅街まで入れるような小型車で病院や商店街へ回れるようにしたらどかと思う。いっそのこと病院に商店をくっつけてしまえばよい。
昔に言われたギャグそのままで、本当の病人は入院してるか家から出ないかで、そこそこ動ける老人は病院に集まる。土地がある地方じゃないと病院へ路線バスは通ってないことが多い。一部の病院は独自に送迎をやってると聞いた。だから病院へいくついでに買い物も済んだら高齢者は一石二鳥ではなかろうか。
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| emisaki | 2019-04-12 Fri 21:52 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-08 Mon
“井の中の蛙 大海を知らず”“されど空の深さを知る” …はずが、知ろうともせず猛毒を撒き散らすばかりなり。
横断歩道も信号機も言葉で知ってても脳ミソの奥じゃ何もわかってない。「俺ら、こんな東京さ嫌だぁ~」って替え歌にしたけど原本の歌詞に「俺らの村には電気がねぇ~」って現実には電気があっても何十年が経った今のほうが人間性は荒廃している。「ならがスマホ」を代表とする よそ見するなんて道の歩き方も知らねぇ連中が自転車になんて乗ったら犯罪に走るのは当然で、ましてや自動車なんて「あおり運転」なる精神異常者が現れるのも当たり前。秩序という統制下において生活できない人は他人と関わらなければならない社会で生活する能力がない。
今度は歩行者の悪事。問題を起こすのは人間だから歩行者も車両も同じ。
各局で放送されており春の交通安全週間だし警察からの注意喚起が入ったのだろう。
私が前々からすべきだと思っていた「車道上で正当に走行している車両に対して不当な歩行者は弱者であろうと重罪に科されるべき」だと言うことが、やっとスケープゴートのごとく警察に立件された。ほかにも信号無視して横断してテメエが車に引かれようとも高額の賠償判決が下った例が紹介された。大多数が罪の意識もない信号無視の責任は重たいのである。
人口密度低→他者と関わらず自己中心的→違反違法→自覚なし→人口密集地でもクズ行為
基本的に外国は人口密度が低く、列に並ぶとか統制が取れておらず、ニューヨークなる大都会も田舎者の巣窟。テレビ番組の収録にて某タレントがニューヨークではこうだと言って横断歩道でない道路を横断と現地人の真似をしていたのを今でも忘れない。その反応は田舎者の迷惑行為の典型。
そういうのを「郷に入れば郷に従え」とは言わないのだ。
間違った物真似が得意でゴミ掃除する日本人が話題にされてるが台湾に住む日本人は平気でゴミを捨てるぞって話になってた。同様に、先にやって来た道徳を知らぬ同族を都会人だと勘違いして真似をして自分も現地(都会)人ヅラをしているだけ。
今回、ワイドショーで放送された日本での不法道路横断と同じで「他人がやってるから自分もやる」という概念が都市生活不適合者の典型であり、道の歩き方も知らない連中の現実。それに対して報道番組で当事者への聞き取り、注意したことで解るように人間のクズがする反応は逆ギレである。
謝罪するようなら最初からやってない。悪事と知らないじゃなく確信犯だからな。
いくら田舎者でも信号くらい知ってる。だが、絶対的に守る必要があるという認識を知らぬ。「みんな無視してる」だの「誰も通ってないから」とか行為の正当化を始めるわけだが自分自身を「無能なクズ」だと言ってるようにしか聞こえない。誰もいないように思えても、どんな所でも四六時中(24時間)誰が出てくるかわからない。
周囲に注意をはらう確率、必要性の違いが人間を変えるのか? もしそうだったら都会で育てば全員が真っ当な能力を持つはず。ところが現実は東京生まれだろうと「カッペの子はカッペ」と言わせるまで能力が欠如しているとしか考えられない。
報道番組で横断歩道じゃないところで横断したサラリーマンらしき人にインタビューしていたが、「自己責任」とか頭おかしいこと抜かしやがった。もう害悪でしかない。不法横断をひき殺してもOKにしない限り自己責任は成立しないんだ! それ、戦地へ行くなと強く政府のお達しも無視して行って拉致されるジャーナリストを名乗る奴らが自己責任とか言うイカレた主張と同じ。
こんな頭おかしい連中を雇ってるんだよ。うじゃうじゃいるからひと事じゃない。
会社自身が迷惑を被らなければ金儲けをするだけが会社で関係ないか。
自転車運転手がほぼ犯罪者なのは道路交通法を知らないことが多いが、横断歩道も信号も知らないはずがない。そもそも法律を知らないは何の言い訳にもならない。高度な話じゃない。横断歩道と信号の話だ。幼稚園児でもわかることを、わからない奴らはどれほど社会のクズか!
違法だって言ってんのに自分ルールで喧嘩売ってくる人間のクズが多すぎる
何が悪いヅラして食って掛かってくる連中へ「犯罪者はテメエのほうだ!」
半世紀以上前から都会のシステムである「歩道橋」だが、どうにも連中には理解できないようなのだ。無謀運転ばかりだろうが滅多に車両が走行してない地域じゃ歩道橋自体が意味をなさないから設置されてないか?。あえて設置してあるとしても通学路くらいである。安全と交通の効率化のため歩行者と車両を分ける歩道橋がないのは非常に危険で、歩道橋がない所では余計に注意をしなければならない。
ずっと目の前にあった現実に、てめえらが高齢化したら急に文句を言い出す。
違法横断が糞野郎どもに真似され、老人だからといたわる価値は消滅。
以前の東京では歩道橋がある交差点で歩行者が不法横断するなんて事を見ることはなかったが、近代にそういう悪党どもが増えてしまった。前から口が酸っぱくなるほど書いてきたが、団塊の世代という移民者が若い頃は表面的な問題を起こさなかったが高齢化して都会のシステムにケチを付け始めたからである。そうした行為を見た全世代の移民の子孫と近代移民者なる都市生活不適合者が悪事の真似を開始した。
特殊詐欺電話で騙そうとしてる連中と同じように極悪ぶりに自覚症状がない。
秘密のケンミンSHOWでも伝えられたが自動車に溺れた田舎者ほど歩きたがらない。
極悪ですよ。無法運転の車両は当然だが、歩行者とて相手を致死傷に遭わせてるんですからね。だから歩行者が立件されたわけ。なぜ解らないのか不思議だが、テレビで見る中国人レベルの呆れた行為と全く同じ。
頼むから劣等感を逆ギレで返すのではなく、学習という方向性で示してくれよ
集団生活の秩序を守るべく学習も怠り、傍若無人と自己中な行動に走ることしかできないのだろうか?その知ったかぶりは犯罪行為にも等しい。数々の違法行為につながってるのだからな。
日本では江戸時代に道徳に欠けようと集団生活のなんたるかは自然と身につけた。東京になってからは政治的に教育を行ったとされるが、次々と侵略してくる文字通り「道の歩き方も知らない人」に対して継続的に教育をしなかった。
ベビーブームから受験戦争へと人間として先にすべき教育を社会が怠って学業を優先させてしまったのが、今の心がすさんだ日本の阿呆どもへと変貌させた。人間教育として過去の日本がした失敗は、鶴光がラジオでよく言ってた「明日の幸せより目の前の銭」である。結果どうなったか言うまでもないが明日の幸せどころか銭すら失いつつある。
・FNNニュース 東武バス逆走 竹の塚駅前交差点
郊外、地方でよく見かける。都市部では混雑を理由にそういうことをするから恐ろしい。旅の途中で見たことがあるくらいだから常態化しているのであり、路線バスよりも乗用車からトラックまで交差点の角などで信号で止まった際に他人の敷地を利用して通行(ショートカット)して信号無視をする。地方へ行くと商業施設の大きな駐車場が交差点の角にすらあることが多く、そこを勝手に道路として利用する連中がいるのである。
これもだが、幼少期から都会で他人との関係を感じながら生きてこないで、常に自分勝手が許される環境で育つと信号機で止まることすら虐げられたと思い込むのであろうか。上記本件や、あおり運転と同じだが精神の病ですよ。
おおらかに思える田舎者のほうが実は強烈に気が短い
更に高齢者は老化現象で気が短くなり道徳という抑えも外れる
私はずっと言われてきたよう江戸っ子だから導火線が短いって思い込んでいるだけだった。並びたくないとか都市生活として時間の効率から遺伝子に染みつくほどなだけで、「火事と喧嘩は江戸の華」ってよう喧嘩するのは気が短くとも本当の理由は江戸時代から都市生活不適合者というクソ野郎がいると許せなかっただけだと分析している。
急激に都市部で起き出した問題はエボラとまで例えたように藪を突いたばかりに蛇が出てきてしまったわけ。そして毒蛇だらけになって毒蛇同士は何が悪いのかすら理解できなくなったと例える。中には猛毒が潜んでいるため報道で騒ぎになるような事件が常態化した。
幼少期から平然といろいろな違法行為をしてきても被害者に出くわさない、出くわしにくい環境では自分自身が悪党だという認識がなく育つため、そういう連中が都市部に出てきて悪事を注意されると、今までずっとやってきた事ですから悪事だと認識しておらず逆ギレという反応をする。恐るべきは自覚症状のなさなのだ。幼少期から擦り込んでしまったことは、そう簡単には払拭することはできない。ですから信号機も横断歩道もない社会でも、現実を知らずとも反射神経的に行えるよう同じ教育が必要なのである。これは同じ環境下で育った人には親は当然だが先生や役人にも無理なのだ。
世界はもっと酷いわけで、こんな落ちぶれた日本人でさえ良く見えるから日本旅行を義務化したほうがいいじゃないかって意見を見かけた。「コンパクト・シティー」を謳うならば、小さな都会を作って他人と関わる社会というものを徹底して教育すべきである。でも先生となれるべき人は絶滅寸前だ。
例えば中国も中国なりに田舎から都会へ出てきた人による自己中が問題になっており、ニュース映像として伝わってくるように、不道徳なんて軽い言葉で表せる状態じゃなく自己中が引き起こす殺人事件なのだ。
これは人種でも地域差別でもなく、平然と不道徳行動ができるという証拠をもってして生活に必須な能力がない者たちを区別し、幼稚園レベルの再教育が必要であると社会へ警鐘を鳴らすための投稿である。
大多数は本質的に悪くはない。悪党へ転落を止める教育能力および環境がないのである。
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人口密度低→他者と関わらず自己中心的→違反違法→自覚なし→人口密集地でもクズ行為
基本的に外国は人口密度が低く、列に並ぶとか統制が取れておらず、ニューヨークなる大都会も田舎者の巣窟。テレビ番組の収録にて某タレントがニューヨークではこうだと言って横断歩道でない道路を横断と現地人の真似をしていたのを今でも忘れない。その反応は田舎者の迷惑行為の典型。
そういうのを「郷に入れば郷に従え」とは言わないのだ。
間違った物真似が得意でゴミ掃除する日本人が話題にされてるが台湾に住む日本人は平気でゴミを捨てるぞって話になってた。同様に、先にやって来た道徳を知らぬ同族を都会人だと勘違いして真似をして自分も現地(都会)人ヅラをしているだけ。
今回、ワイドショーで放送された日本での不法道路横断と同じで「他人がやってるから自分もやる」という概念が都市生活不適合者の典型であり、道の歩き方も知らない連中の現実。それに対して報道番組で当事者への聞き取り、注意したことで解るように人間のクズがする反応は逆ギレである。
謝罪するようなら最初からやってない。悪事と知らないじゃなく確信犯だからな。
いくら田舎者でも信号くらい知ってる。だが、絶対的に守る必要があるという認識を知らぬ。「みんな無視してる」だの「誰も通ってないから」とか行為の正当化を始めるわけだが自分自身を「無能なクズ」だと言ってるようにしか聞こえない。誰もいないように思えても、どんな所でも四六時中(24時間)誰が出てくるかわからない。
周囲に注意をはらう確率、必要性の違いが人間を変えるのか? もしそうだったら都会で育てば全員が真っ当な能力を持つはず。ところが現実は東京生まれだろうと「カッペの子はカッペ」と言わせるまで能力が欠如しているとしか考えられない。
報道番組で横断歩道じゃないところで横断したサラリーマンらしき人にインタビューしていたが、「自己責任」とか頭おかしいこと抜かしやがった。もう害悪でしかない。不法横断をひき殺してもOKにしない限り自己責任は成立しないんだ! それ、戦地へ行くなと強く政府のお達しも無視して行って拉致されるジャーナリストを名乗る奴らが自己責任とか言うイカレた主張と同じ。
こんな頭おかしい連中を雇ってるんだよ。うじゃうじゃいるからひと事じゃない。
会社自身が迷惑を被らなければ金儲けをするだけが会社で関係ないか。
自転車運転手がほぼ犯罪者なのは道路交通法を知らないことが多いが、横断歩道も信号も知らないはずがない。そもそも法律を知らないは何の言い訳にもならない。高度な話じゃない。横断歩道と信号の話だ。幼稚園児でもわかることを、わからない奴らはどれほど社会のクズか!
違法だって言ってんのに自分ルールで喧嘩売ってくる人間のクズが多すぎる
何が悪いヅラして食って掛かってくる連中へ「犯罪者はテメエのほうだ!」
半世紀以上前から都会のシステムである「歩道橋」だが、どうにも連中には理解できないようなのだ。無謀運転ばかりだろうが滅多に車両が走行してない地域じゃ歩道橋自体が意味をなさないから設置されてないか?。あえて設置してあるとしても通学路くらいである。安全と交通の効率化のため歩行者と車両を分ける歩道橋がないのは非常に危険で、歩道橋がない所では余計に注意をしなければならない。
ずっと目の前にあった現実に、てめえらが高齢化したら急に文句を言い出す。
違法横断が糞野郎どもに真似され、老人だからといたわる価値は消滅。
以前の東京では歩道橋がある交差点で歩行者が不法横断するなんて事を見ることはなかったが、近代にそういう悪党どもが増えてしまった。前から口が酸っぱくなるほど書いてきたが、団塊の世代という移民者が若い頃は表面的な問題を起こさなかったが高齢化して都会のシステムにケチを付け始めたからである。そうした行為を見た全世代の移民の子孫と近代移民者なる都市生活不適合者が悪事の真似を開始した。
特殊詐欺電話で騙そうとしてる連中と同じように極悪ぶりに自覚症状がない。
秘密のケンミンSHOWでも伝えられたが自動車に溺れた田舎者ほど歩きたがらない。
極悪ですよ。無法運転の車両は当然だが、歩行者とて相手を致死傷に遭わせてるんですからね。だから歩行者が立件されたわけ。なぜ解らないのか不思議だが、テレビで見る中国人レベルの呆れた行為と全く同じ。
頼むから劣等感を逆ギレで返すのではなく、学習という方向性で示してくれよ
集団生活の秩序を守るべく学習も怠り、傍若無人と自己中な行動に走ることしかできないのだろうか?その知ったかぶりは犯罪行為にも等しい。数々の違法行為につながってるのだからな。
日本では江戸時代に道徳に欠けようと集団生活のなんたるかは自然と身につけた。東京になってからは政治的に教育を行ったとされるが、次々と侵略してくる文字通り「道の歩き方も知らない人」に対して継続的に教育をしなかった。
ベビーブームから受験戦争へと人間として先にすべき教育を社会が怠って学業を優先させてしまったのが、今の心がすさんだ日本の阿呆どもへと変貌させた。人間教育として過去の日本がした失敗は、鶴光がラジオでよく言ってた「明日の幸せより目の前の銭」である。結果どうなったか言うまでもないが明日の幸せどころか銭すら失いつつある。
・FNNニュース 東武バス逆走 竹の塚駅前交差点
郊外、地方でよく見かける。都市部では混雑を理由にそういうことをするから恐ろしい。旅の途中で見たことがあるくらいだから常態化しているのであり、路線バスよりも乗用車からトラックまで交差点の角などで信号で止まった際に他人の敷地を利用して通行(ショートカット)して信号無視をする。地方へ行くと商業施設の大きな駐車場が交差点の角にすらあることが多く、そこを勝手に道路として利用する連中がいるのである。
これもだが、幼少期から都会で他人との関係を感じながら生きてこないで、常に自分勝手が許される環境で育つと信号機で止まることすら虐げられたと思い込むのであろうか。上記本件や、あおり運転と同じだが精神の病ですよ。
おおらかに思える田舎者のほうが実は強烈に気が短い
更に高齢者は老化現象で気が短くなり道徳という抑えも外れる
私はずっと言われてきたよう江戸っ子だから導火線が短いって思い込んでいるだけだった。並びたくないとか都市生活として時間の効率から遺伝子に染みつくほどなだけで、「火事と喧嘩は江戸の華」ってよう喧嘩するのは気が短くとも本当の理由は江戸時代から都市生活不適合者というクソ野郎がいると許せなかっただけだと分析している。
急激に都市部で起き出した問題はエボラとまで例えたように藪を突いたばかりに蛇が出てきてしまったわけ。そして毒蛇だらけになって毒蛇同士は何が悪いのかすら理解できなくなったと例える。中には猛毒が潜んでいるため報道で騒ぎになるような事件が常態化した。
幼少期から平然といろいろな違法行為をしてきても被害者に出くわさない、出くわしにくい環境では自分自身が悪党だという認識がなく育つため、そういう連中が都市部に出てきて悪事を注意されると、今までずっとやってきた事ですから悪事だと認識しておらず逆ギレという反応をする。恐るべきは自覚症状のなさなのだ。幼少期から擦り込んでしまったことは、そう簡単には払拭することはできない。ですから信号機も横断歩道もない社会でも、現実を知らずとも反射神経的に行えるよう同じ教育が必要なのである。これは同じ環境下で育った人には親は当然だが先生や役人にも無理なのだ。
世界はもっと酷いわけで、こんな落ちぶれた日本人でさえ良く見えるから日本旅行を義務化したほうがいいじゃないかって意見を見かけた。「コンパクト・シティー」を謳うならば、小さな都会を作って他人と関わる社会というものを徹底して教育すべきである。でも先生となれるべき人は絶滅寸前だ。
例えば中国も中国なりに田舎から都会へ出てきた人による自己中が問題になっており、ニュース映像として伝わってくるように、不道徳なんて軽い言葉で表せる状態じゃなく自己中が引き起こす殺人事件なのだ。
これは人種でも地域差別でもなく、平然と不道徳行動ができるという証拠をもってして生活に必須な能力がない者たちを区別し、幼稚園レベルの再教育が必要であると社会へ警鐘を鳴らすための投稿である。
大多数は本質的に悪くはない。悪党へ転落を止める教育能力および環境がないのである。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2019-04-08 Mon 22:11 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-07 Sun
十津川村がまだ未踏の地なので充電バイクの旅番組を見たのだが、谷瀬の吊り橋から始まって、お約束のネタ切れなのか、もしくは裏で誰かが動かしていると感じる部類である。少しまえには各種番組で台湾への旅が集中していた。同じ時期に集中するのは年がら年中なのでテレビを見ることが少ない人に当たる可能性が高くなる一方、テレビを見ている人にとっては、ほかをお願いとなる。最近、谷瀬の吊り橋が登場した番組
2019年4月6日 テレビ東京「出川哲朗の充電させてくれませんか」 谷瀬の吊り橋→那智大社(熊野三山)
2019年3月22日 朝日放送「旅サラダ」 天川村・十津川村 古田敦也さんに番組降板するヒロド歩美アナが合流
2019年2月13日 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 八木新宮線 十津川村宿泊 路線バス代キャッシュバック
基本のチェック対象なので見てない番組は知りませんから他にもありそう。3月15日まで十津川村が路線バスのキャッシュバック(リベート)キャンペーンをやっていたため奈良県などが手を回しているのかわからないが、放送から充電バイクは2月15日前後に収録していることがわかった。定番と異なる点では昨日放送の番組が最も参考になった。挙げた3番組は放送時間の差が激しいが充電バイク旅は目的地は定番でも道のりが違うところが大きい。
| emisaki | 2019-04-07 Sun 21:01 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-07 Sun
2019年3月28日放送 テレビ東京「カンブリア宮殿」【逆襲温泉SP!伝統の温泉町「草津」と「湯沢」に現れた革新の男】
・観光客への聞き取り調査
・見苦しい廃墟に日帰り温泉施設を建設
・時代遅れの温泉宿の改革...
草津温泉(群馬県)については、おばあちゃんに連れられて行ってるはずだが物事つく前で全く記憶がないため中学生になるまで数十回は連れて行かれた主に熱海(静岡県)を例にする。地域によって細かく対処法が異なるにしても本質は違わないはず。
私の場合は小学生くらいまでは裏道を知るまで行ってたが、社会に出た直後は旅する余裕なんてなくブランクがあり、15~10年前の期間は「花火だけ見て帰る客」であり、十何年か前に名古屋で知り合った人から偶然にも東京での知り合いだった人に繋がり久しぶりに会ったことから複雑だが更に熱海へ繋がり、愛しの八重歯ちゃん(ミス熱海梅娘)に会ったことがきっかけで10年前(2009年)に小さい頃から大きく変わった熱海の本格的な調査を始めた。
幼少期の熱海は遊泳禁止だったのにサンビーチ(人工砂浜)ができてるのは知ってたが、暗くなってから行くため全体像を把握しておらず、ビックリしたのは昼間に行くようになった10年前だった。
バブル崩壊後から草津は手が付けられない状態だったかもしれないが、熱海は廃業した宿がリゾートマンションになり、海岸線(親水公園、ヨットハーバー)を見たとき「熱海は葉山・逗子じゃねーよ」と落胆したのは忘れない。
熱海の調査の関係で、草津温泉も越後湯沢も知ることとなった。それは物件(土地・住居)を調べたから同時に他の観光地も知ったがテレビ番組が騒ぐ前から草津よりリゾートマンションが林立(乱立)した越後湯沢で中古マンション10万円の叩き売りがズラーッと並んでいるのは見ていた。
その時点で今回のテレビ番組にあるような再生計画なんて知るよしもないが、番組を見る限り私が考えたり、やってきたことと相当な点で一致している。客だからこそ当たり前に理解していることで自慢話ではない。そこを知ろうとしない観光業者が間抜けだっただけである。
過去にも書いたが、H.I.S.や星野リゾートが成長したのは自らが客、旅人だったからでしょう。ですから H.I.S.みたいに初心を忘れる、創業者の意向から外れてしまうと変な方向へ進んでしまうのである。だいたい会社が大きくなるとそうなる。
分野が違うがiPhoneのアップル社より前に日本のアップル社のようだったソニーだが会社を理解しない社員が規模やブランドだけで入ってくると崩されてしまう。ソニー製品をロクに知りもしない経営者に何億円も払って経営のみを考えた結果がソニーの革新性をなくしたと思ってる。ですから市場動向や顧客のことを知った上での指揮者の意向は重要。
どこを目指すのも勝手なのだが、H.I.S.がJTBを目指してるように感じるから、こっちからすれば初心のH.I.S.の必要性を見失ってどの業者でも変わらないならJTBでいいってことになった。なんでもかんでも収益の拡大を狙えば良いって問題じゃないのも、多くの大企業の失敗が教えてくれる。電器屋にしろ飲食店にしろ出店し過ぎて滅亡した企業がどれだけあったか。
社会の大企業の経営に対して小僧が偉そうに語るならば天井は見えているのに成長(収益拡大)しか考えないのは馬鹿に見える。それよりも、長く現状維持してゆくことを考えるべきで、そのほうが非常に難しいことでもある。公開株というハゲタカに支配されてないならば正しい選択をすべきでしょう。
ただ、ホテル業はそれほど大企業ではないから、一度潰れると観光業者に買われてホテル名は残しても裏では同じ経営会社になるが、現状では個人事業主の旅館やホテルより客として選びたい宿となっている。居抜き物件で設備投資額が低いからってよりも、ちゃんと市場動向を探って決めてるからだ。市場動向を見誤らなければ新規出店だって問題ないわけ。
私は技術畑なので経営学なんて知らないが、恥ずかしくても商売の基本として「地域一番店を目指す」のと「困ったときは客に聞け」ってのは深く残ってた。私が思うことは一人の意見でしかないため、客観的な意見に近づけるため同じ観光客の意見を集めた。自分も観光客だから実に簡単で、地獄耳でぐるぐる廻ってればよいだけ。同じ観光客同士だから本心を聞き出せてきたと思う。日頃から劇辛で綴っている私でさえ思う、ものすごく厳しい意見を聞いてきた。
イベントやバスの待ち時間だったり、他人のカメラのシャッターを100回以上は押してきたから自分から何気なく聞き出すことも多々あった(「何気なく」が重要)。ですからあからさまに行うアンケート調査ってのは信用せず、そこそこの指標でしかない。苦情に賞金を付けた企業があるように、本当に改善したい事を得るにはアンケート調査では不可能。
「ないしょ話」以外は過去のブログにて「考察・批評」なるカテゴリーに問題点は綴ってある。そして住民と別荘族からの情報も得てきた。それらの情報を総合して客としての意見なので設備投資の資金面など多くの場合は無視して語ってきた。ある程度の改善が見られたから受け入れられたのだと思う。メディア戦略という宣伝だけでは短期的に飽きられてしまうからだ。
調査から感じることがあるが一般観光客も感じ取っていると思われることは地元商店の人の感情である。「やる気が失せている」ってのは強く受け取ってしまって人を遠ざけてしまうのであり、回復に転じた際に急速に進むのも急に店員などの感情が良い印象に変わるからである。客なら誰もがわかることだ。
番組で語られる次の点も客として文句を言ってきたこと。
(草津町長)
「日本の温泉地は旅館中心の町づくりをしてきた。旅館・ホテルそのものが観光地化してしまった。宿の中にお客さんを閉じ込め外に出ない仕組み作りをしてきた。それが温泉地の衰退にもつながった。それでは温泉地に行った意味がない。1回行くと飽きてしまう。町全体を豊かにする思いで、とことん外に出てもらう発送をした。」
全く同感。連れられて行く時代はともかく、社会人になって自分で出かけて行くことになってから旅館で食べきれない飯が出て割高感が漂ったり疑問しかなかった。全てやめろとは言わないが多くの場合は時代遅れの方式だと。
加えて「休暇」なのに古くさい旅館の制度に振り回されては行った意味がない。江戸っ子家系で行ってますから日頃から人間だらけな訳で、旅館に行ってまで仲居さんだろうが関わるのは残念なことに「小さな親切、大きなお世話」という言葉を使うしかなくなる。それで西洋風ホテルが好きなのだ。こちから要求しない限り、ごちゃごちゃ言ってこないからだ。接待のつもりが、お節介であることも認識したほうがよい。人手不足とか言うなら丁度よいでしょう。お節介希望な人は相応の料金を払ってくれ。
(草津町長)
「店やビルをきれいにすれば客が増えると住民が実感できた」
それは近年で言うならば鬼怒川のホテルで目の前に廃墟が見えるとキャンセルが相次いだためホテルの自費で解体したくらい意味のあることです。だから熱海での場合も旧・岡本ホテルを市が買い取るとき「買うならそこじゃねーだろ」って思ったわけ。ただし、そこじゃない場所を買うほうが長年廃墟だとしても一等地のため買えない。新たなホテル建設で壁となる高さのビルを許せば裏で廃墟が増えるだけ。臭いものに蓋をするだけで根本的な解決策ではないと文句を付けたが参入する業者は通常「金儲け」しか考えないし、自分だけ良ければ裏で日陰に泣く住民なんて知ったこっちゃねぇ連中でしょう。そう考える奴らから明日は見えるのかと。
そこで草津に戻るが、「古いと汚い」は全く違うと他人の言葉を借りてきたが、草津は熱海のような道を歩んでる。日帰り温泉施設は古来の木造であるが、商店は「古い=汚い」と思ってるようだから「綺麗=最新」のような動きで、新規出店したような店は「草津温泉じゃない」って感じがする。それが許せたのが草津温泉を知らない若年層であっただけだから「温泉地」の景観を崩すと中高年の客離れを起こす。近代の日本が抱えてる少子化問題からするとカンフル剤(その場しのぎ)にすぎないってことになる。
何も若者だからって近代風が求められるわけじゃないのは京都が日本人としても一大観光地であることもあるし、各地に古風な温泉街は残っている。むしろ、新しくしてしまったら取り返しが付かない。草津も遠目にみればリゾートマンションと残念な景観になる。
(現地収録映像より)
「歴代町長は旅館関係者」
これまた、どっかで聞いたような話。それを許してきたのが破滅への道。全国的に見て地域の大きな事業者が議員から市町村の長ってロクなことがない。某所においても誰が財政破綻寸前まで追い込んだのかは明白であり、性懲りもなく関係者が政治家として立候補してくる恥知らずぶり。住民が賢明な判断をしなければ競合相手がいない市町村は独裁政権も同然だからな。正しい時の独裁は早く良い方向へ進められるが、ヤバイ奴の独裁政権となれば特定の方を向くだけで大多数が苦しめられる。
(草津町長)
湯畑への集中投資と駐車場の廃止にて
「嫌なら私の首を取れ。そうすれば止まる。どんな反対があっても強い意志でやりきると言った」
以前に東国原英夫が宮崎県知事時代の話で「何をするにも反対派はいる」と言っており「やると決めたら進める」と続けてた。ところが現実には多くの政治家や役所は誰にでも良い顔をしようと呆れた態度を示す。東京都で言うならば小池の豊洲へ移転するが築地も生かす発言だ。結果的に築地は別の利用へと当然の流れになったが、節操がない事を言うのが一般的な政治家のお約束であっても、市民としては受け入れがたい。
(テレビ司会者)
東京から草津をイメージして何か思ったことありますか?
(草津町長)
「東京を見ずして地方を語るなと言ってきてる。東京を見て勉強すると地方で何をしたらよいか何となくわかる。地方の人ほど東京に憧れる。そうすると東京の延長をしようとする。これは大失敗します。地方は東京にない集合体を作るべき」
当たり前だな。たとえば海外旅行して日本庭園なんて見に行きたくない。外国人観光客でも都会から来た人は東京の風景なんてどうでもいい。東京の延長線上には用がない。必要な知るべきことは、客の多くが都会から来てること。
以前に紹介されたが熊本県にある広大な土地で「人の気配を全く感じさせない宿」は高額なのに別に富裕層じゃなくても客が来ると。それも東京では不可能なことを提供しているからだ。
ここに繋がる。熱海が東洋のモナコとか「ちょっと何 言ってんのかわかんないんですけどー」とね。日本の温泉街をやれよってね。草津とは別の手段で復活を遂げているから良いが、城崎温泉みたいだった熱海に戻ることは絶対にない。だからある時点で絶対に選択を失敗してはいけないのだ。
海外旅行で自国にあるものを見たくもないって点からも西洋風になんてしてはいけないのである。客が若年層のうちは良いが草津は新規の店構えには違和感がある。インバウンド商戦なんて言ってる時代に東京の延長線上、西洋風なんて経営では潰れるのみ。
誰かさんの言葉を借りるとして「テレビは宣伝しかしない」。
ですから草津も回復を見せたからこそ紹介された。「ただいま草津はどん底で客が激減」なんて報道しない。その点を理解しながら番組から得るものは得てる。
番組で紹介された湯沢町で宿の改革をして成功したところも、客として思ってきた事、そのものであった。そして、ちゃんと市場調査をしている。宿に限らず、客の求めるものを探らず、販売してるものの水準を理解してないからシャッター通り商店街になるのである。全ては客に聞けばわかることなんだがな。無能で廃業になろうが知ったこっちゃないが、「買い物難民」なんて生まれる社会で無能な店に仕方なく生かされるなんて可哀想だ。
客としての怒りなのである。
反対に言えば、無能な経営者は客のお情けで生かされてきただけなのだ。
間違ったプライドを持ってるよう見えるが、無能な点を受け入れなければ先には進めない。成功ではなく失敗からしか得るものはないのと同じ。その先にこそ持つべき真のプライドが待っている。
観光業はコストパーフォーマンスとは縁遠く平均するとボッタクリ感のほうが強いため、先に「行かない、泊まらない」という逆襲に出ていたのは客のほうなんだよね。
「困ったときは客に聞け」っても日本人の場合は、いざ当事者を目の前にして本当のことが言えるかどうか。文句も言わず去る人から何か得ることができるかどうかだ。
努力をしたつもりと市場調査もしないで嘆いたり社会の責任にする連中が実に多い。ですから客を呼んだ周囲の真似を始めたってのは本質を理解しているかどうか疑問である。有馬温泉の復活劇も紹介されたが基本的な手法は同じでしょう。草津温泉でも強い反対が起きたと語っていたが、実行できるか、できないかで命運が決まったように感じた。
草津の町長は過去に自分の商業にて真っ当な市場調査をしてきたからこそ今がある。政治家による役にたたない視察という名の観光旅行に比べたら観光業者が客をやってみることは重要である。「プロ」ってのは、そこそこの範囲内で多くのことに対応でき報酬をいただく人のことだが、「趣味」を突き詰めた人ってのはプロの上をゆくのも決定的な違いは、お金をもらうじゃなく払ってる。そしてプロ(職業)には妥協があるが趣味(マニア)には妥協がない!
だから宣伝費に100万円あったら日本中を調査してくればいい。
私は開発者(30歳定年説あり)から検査人(デバッガー)へと移った関係から趣味に生かしたと言え、陰湿であるが駄目な観光地が、なぜ駄目なのかを探るのに興味が湧くのであった。同じことをすれば客を遠ざけてる問題なんてすぐ見えるようになるはずさ。もし他人の意見を聞くならば本当の客の意見を聞くことである。どこの業界にもいるが、評論家なんて職業になった瞬間に単なる宣伝マンに成り下がり使い物にならなくなるし、報酬のために評論なんてしてないし、むしろ批判してやったほうが業者のためなんだよ。それを聞き入れず怒るような業者は最初から終わってるんだ。
今は有能か無能かだけで勝敗が決まっており競争じゃない。
全ての観光業が理解してからこそ、本当の競争の始まりだ。
なぜ 小さな子 みたいに 大きな子 を ワクワク させてくれないんだ!?
≪ 続きを隠す
私の場合は小学生くらいまでは裏道を知るまで行ってたが、社会に出た直後は旅する余裕なんてなくブランクがあり、15~10年前の期間は「花火だけ見て帰る客」であり、十何年か前に名古屋で知り合った人から偶然にも東京での知り合いだった人に繋がり久しぶりに会ったことから複雑だが更に熱海へ繋がり、愛しの八重歯ちゃん(ミス熱海梅娘)に会ったことがきっかけで10年前(2009年)に小さい頃から大きく変わった熱海の本格的な調査を始めた。
幼少期の熱海は遊泳禁止だったのにサンビーチ(人工砂浜)ができてるのは知ってたが、暗くなってから行くため全体像を把握しておらず、ビックリしたのは昼間に行くようになった10年前だった。
バブル崩壊後から草津は手が付けられない状態だったかもしれないが、熱海は廃業した宿がリゾートマンションになり、海岸線(親水公園、ヨットハーバー)を見たとき「熱海は葉山・逗子じゃねーよ」と落胆したのは忘れない。
熱海の調査の関係で、草津温泉も越後湯沢も知ることとなった。それは物件(土地・住居)を調べたから同時に他の観光地も知ったがテレビ番組が騒ぐ前から草津よりリゾートマンションが林立(乱立)した越後湯沢で中古マンション10万円の叩き売りがズラーッと並んでいるのは見ていた。
その時点で今回のテレビ番組にあるような再生計画なんて知るよしもないが、番組を見る限り私が考えたり、やってきたことと相当な点で一致している。客だからこそ当たり前に理解していることで自慢話ではない。そこを知ろうとしない観光業者が間抜けだっただけである。
過去にも書いたが、H.I.S.や星野リゾートが成長したのは自らが客、旅人だったからでしょう。ですから H.I.S.みたいに初心を忘れる、創業者の意向から外れてしまうと変な方向へ進んでしまうのである。だいたい会社が大きくなるとそうなる。
分野が違うがiPhoneのアップル社より前に日本のアップル社のようだったソニーだが会社を理解しない社員が規模やブランドだけで入ってくると崩されてしまう。ソニー製品をロクに知りもしない経営者に何億円も払って経営のみを考えた結果がソニーの革新性をなくしたと思ってる。ですから市場動向や顧客のことを知った上での指揮者の意向は重要。
どこを目指すのも勝手なのだが、H.I.S.がJTBを目指してるように感じるから、こっちからすれば初心のH.I.S.の必要性を見失ってどの業者でも変わらないならJTBでいいってことになった。なんでもかんでも収益の拡大を狙えば良いって問題じゃないのも、多くの大企業の失敗が教えてくれる。電器屋にしろ飲食店にしろ出店し過ぎて滅亡した企業がどれだけあったか。
社会の大企業の経営に対して小僧が偉そうに語るならば天井は見えているのに成長(収益拡大)しか考えないのは馬鹿に見える。それよりも、長く現状維持してゆくことを考えるべきで、そのほうが非常に難しいことでもある。公開株というハゲタカに支配されてないならば正しい選択をすべきでしょう。
ただ、ホテル業はそれほど大企業ではないから、一度潰れると観光業者に買われてホテル名は残しても裏では同じ経営会社になるが、現状では個人事業主の旅館やホテルより客として選びたい宿となっている。居抜き物件で設備投資額が低いからってよりも、ちゃんと市場動向を探って決めてるからだ。市場動向を見誤らなければ新規出店だって問題ないわけ。
私は技術畑なので経営学なんて知らないが、恥ずかしくても商売の基本として「地域一番店を目指す」のと「困ったときは客に聞け」ってのは深く残ってた。私が思うことは一人の意見でしかないため、客観的な意見に近づけるため同じ観光客の意見を集めた。自分も観光客だから実に簡単で、地獄耳でぐるぐる廻ってればよいだけ。同じ観光客同士だから本心を聞き出せてきたと思う。日頃から劇辛で綴っている私でさえ思う、ものすごく厳しい意見を聞いてきた。
イベントやバスの待ち時間だったり、他人のカメラのシャッターを100回以上は押してきたから自分から何気なく聞き出すことも多々あった(「何気なく」が重要)。ですからあからさまに行うアンケート調査ってのは信用せず、そこそこの指標でしかない。苦情に賞金を付けた企業があるように、本当に改善したい事を得るにはアンケート調査では不可能。
「ないしょ話」以外は過去のブログにて「考察・批評」なるカテゴリーに問題点は綴ってある。そして住民と別荘族からの情報も得てきた。それらの情報を総合して客としての意見なので設備投資の資金面など多くの場合は無視して語ってきた。ある程度の改善が見られたから受け入れられたのだと思う。メディア戦略という宣伝だけでは短期的に飽きられてしまうからだ。
調査から感じることがあるが一般観光客も感じ取っていると思われることは地元商店の人の感情である。「やる気が失せている」ってのは強く受け取ってしまって人を遠ざけてしまうのであり、回復に転じた際に急速に進むのも急に店員などの感情が良い印象に変わるからである。客なら誰もがわかることだ。
番組で語られる次の点も客として文句を言ってきたこと。
(草津町長)
「日本の温泉地は旅館中心の町づくりをしてきた。旅館・ホテルそのものが観光地化してしまった。宿の中にお客さんを閉じ込め外に出ない仕組み作りをしてきた。それが温泉地の衰退にもつながった。それでは温泉地に行った意味がない。1回行くと飽きてしまう。町全体を豊かにする思いで、とことん外に出てもらう発送をした。」
全く同感。連れられて行く時代はともかく、社会人になって自分で出かけて行くことになってから旅館で食べきれない飯が出て割高感が漂ったり疑問しかなかった。全てやめろとは言わないが多くの場合は時代遅れの方式だと。
加えて「休暇」なのに古くさい旅館の制度に振り回されては行った意味がない。江戸っ子家系で行ってますから日頃から人間だらけな訳で、旅館に行ってまで仲居さんだろうが関わるのは残念なことに「小さな親切、大きなお世話」という言葉を使うしかなくなる。それで西洋風ホテルが好きなのだ。こちから要求しない限り、ごちゃごちゃ言ってこないからだ。接待のつもりが、お節介であることも認識したほうがよい。人手不足とか言うなら丁度よいでしょう。お節介希望な人は相応の料金を払ってくれ。
(草津町長)
「店やビルをきれいにすれば客が増えると住民が実感できた」
それは近年で言うならば鬼怒川のホテルで目の前に廃墟が見えるとキャンセルが相次いだためホテルの自費で解体したくらい意味のあることです。だから熱海での場合も旧・岡本ホテルを市が買い取るとき「買うならそこじゃねーだろ」って思ったわけ。ただし、そこじゃない場所を買うほうが長年廃墟だとしても一等地のため買えない。新たなホテル建設で壁となる高さのビルを許せば裏で廃墟が増えるだけ。臭いものに蓋をするだけで根本的な解決策ではないと文句を付けたが参入する業者は通常「金儲け」しか考えないし、自分だけ良ければ裏で日陰に泣く住民なんて知ったこっちゃねぇ連中でしょう。そう考える奴らから明日は見えるのかと。
そこで草津に戻るが、「古いと汚い」は全く違うと他人の言葉を借りてきたが、草津は熱海のような道を歩んでる。日帰り温泉施設は古来の木造であるが、商店は「古い=汚い」と思ってるようだから「綺麗=最新」のような動きで、新規出店したような店は「草津温泉じゃない」って感じがする。それが許せたのが草津温泉を知らない若年層であっただけだから「温泉地」の景観を崩すと中高年の客離れを起こす。近代の日本が抱えてる少子化問題からするとカンフル剤(その場しのぎ)にすぎないってことになる。
何も若者だからって近代風が求められるわけじゃないのは京都が日本人としても一大観光地であることもあるし、各地に古風な温泉街は残っている。むしろ、新しくしてしまったら取り返しが付かない。草津も遠目にみればリゾートマンションと残念な景観になる。
(現地収録映像より)
「歴代町長は旅館関係者」
これまた、どっかで聞いたような話。それを許してきたのが破滅への道。全国的に見て地域の大きな事業者が議員から市町村の長ってロクなことがない。某所においても誰が財政破綻寸前まで追い込んだのかは明白であり、性懲りもなく関係者が政治家として立候補してくる恥知らずぶり。住民が賢明な判断をしなければ競合相手がいない市町村は独裁政権も同然だからな。正しい時の独裁は早く良い方向へ進められるが、ヤバイ奴の独裁政権となれば特定の方を向くだけで大多数が苦しめられる。
(草津町長)
湯畑への集中投資と駐車場の廃止にて
「嫌なら私の首を取れ。そうすれば止まる。どんな反対があっても強い意志でやりきると言った」
以前に東国原英夫が宮崎県知事時代の話で「何をするにも反対派はいる」と言っており「やると決めたら進める」と続けてた。ところが現実には多くの政治家や役所は誰にでも良い顔をしようと呆れた態度を示す。東京都で言うならば小池の豊洲へ移転するが築地も生かす発言だ。結果的に築地は別の利用へと当然の流れになったが、節操がない事を言うのが一般的な政治家のお約束であっても、市民としては受け入れがたい。
(テレビ司会者)
東京から草津をイメージして何か思ったことありますか?
(草津町長)
「東京を見ずして地方を語るなと言ってきてる。東京を見て勉強すると地方で何をしたらよいか何となくわかる。地方の人ほど東京に憧れる。そうすると東京の延長をしようとする。これは大失敗します。地方は東京にない集合体を作るべき」
当たり前だな。たとえば海外旅行して日本庭園なんて見に行きたくない。外国人観光客でも都会から来た人は東京の風景なんてどうでもいい。東京の延長線上には用がない。必要な知るべきことは、客の多くが都会から来てること。
以前に紹介されたが熊本県にある広大な土地で「人の気配を全く感じさせない宿」は高額なのに別に富裕層じゃなくても客が来ると。それも東京では不可能なことを提供しているからだ。
ここに繋がる。熱海が東洋のモナコとか「ちょっと何 言ってんのかわかんないんですけどー」とね。日本の温泉街をやれよってね。草津とは別の手段で復活を遂げているから良いが、城崎温泉みたいだった熱海に戻ることは絶対にない。だからある時点で絶対に選択を失敗してはいけないのだ。
海外旅行で自国にあるものを見たくもないって点からも西洋風になんてしてはいけないのである。客が若年層のうちは良いが草津は新規の店構えには違和感がある。インバウンド商戦なんて言ってる時代に東京の延長線上、西洋風なんて経営では潰れるのみ。
誰かさんの言葉を借りるとして「テレビは宣伝しかしない」。
ですから草津も回復を見せたからこそ紹介された。「ただいま草津はどん底で客が激減」なんて報道しない。その点を理解しながら番組から得るものは得てる。
番組で紹介された湯沢町で宿の改革をして成功したところも、客として思ってきた事、そのものであった。そして、ちゃんと市場調査をしている。宿に限らず、客の求めるものを探らず、販売してるものの水準を理解してないからシャッター通り商店街になるのである。全ては客に聞けばわかることなんだがな。無能で廃業になろうが知ったこっちゃないが、「買い物難民」なんて生まれる社会で無能な店に仕方なく生かされるなんて可哀想だ。
客としての怒りなのである。
反対に言えば、無能な経営者は客のお情けで生かされてきただけなのだ。
間違ったプライドを持ってるよう見えるが、無能な点を受け入れなければ先には進めない。成功ではなく失敗からしか得るものはないのと同じ。その先にこそ持つべき真のプライドが待っている。
観光業はコストパーフォーマンスとは縁遠く平均するとボッタクリ感のほうが強いため、先に「行かない、泊まらない」という逆襲に出ていたのは客のほうなんだよね。
「困ったときは客に聞け」っても日本人の場合は、いざ当事者を目の前にして本当のことが言えるかどうか。文句も言わず去る人から何か得ることができるかどうかだ。
努力をしたつもりと市場調査もしないで嘆いたり社会の責任にする連中が実に多い。ですから客を呼んだ周囲の真似を始めたってのは本質を理解しているかどうか疑問である。有馬温泉の復活劇も紹介されたが基本的な手法は同じでしょう。草津温泉でも強い反対が起きたと語っていたが、実行できるか、できないかで命運が決まったように感じた。
草津の町長は過去に自分の商業にて真っ当な市場調査をしてきたからこそ今がある。政治家による役にたたない視察という名の観光旅行に比べたら観光業者が客をやってみることは重要である。「プロ」ってのは、そこそこの範囲内で多くのことに対応でき報酬をいただく人のことだが、「趣味」を突き詰めた人ってのはプロの上をゆくのも決定的な違いは、お金をもらうじゃなく払ってる。そしてプロ(職業)には妥協があるが趣味(マニア)には妥協がない!
だから宣伝費に100万円あったら日本中を調査してくればいい。
私は開発者(30歳定年説あり)から検査人(デバッガー)へと移った関係から趣味に生かしたと言え、陰湿であるが駄目な観光地が、なぜ駄目なのかを探るのに興味が湧くのであった。同じことをすれば客を遠ざけてる問題なんてすぐ見えるようになるはずさ。もし他人の意見を聞くならば本当の客の意見を聞くことである。どこの業界にもいるが、評論家なんて職業になった瞬間に単なる宣伝マンに成り下がり使い物にならなくなるし、報酬のために評論なんてしてないし、むしろ批判してやったほうが業者のためなんだよ。それを聞き入れず怒るような業者は最初から終わってるんだ。
今は有能か無能かだけで勝敗が決まっており競争じゃない。
全ての観光業が理解してからこそ、本当の競争の始まりだ。
なぜ 小さな子 みたいに 大きな子 を ワクワク させてくれないんだ!?
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2019-04-07 Sun 20:04 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-06 Sat
2018年末に発表された今年の漢字もすぐ忘れる日本人。のちのために書いておくと災害の「災」であった。各地で「つむじ風」が発生し、動画が投稿され、ニュース番組でも放送された。 特に埼玉県朝霞市でのことだが折りたたみ式のテープルと椅子が一体化した物が壊れて飛ぶほどであり、報道のタイトルでは「パニック状態」と書かれてるが、私は映像を見たとき「てめえら、馬鹿か!」って感じで、逃げ惑うどころが、ガキどもは、はしゃぎまくってるだけ。
幅1メートルくらいのプラスティック製らしきテープルが飛んでるから非常に危険なので、冷静に「あたま気をつけろ」どころの騒ぎじゃない!たまたま、死傷者が出なかっただけ。投稿動画を見ればわかるが、プラスティックのテープルは、そこに突っ立ってるだけの大人にはぶつかっている。時間は十分にあるが、大人は誰も子に駆け寄っても来ない。
そうした周囲の親たちの人間としての劣化を見ることになった。どこかで子供が巻き込まれる事件が起きれば何だかんだとブツブツ抜かして大騒ぎし、確率的に事件が発生するだけなのに世の中を変な方向へ動かすくせに、今そこにある危険に大人は自分の子にも何もしていない。実体は「親としては恐るべき無能」だってことだ。無能、それは世の中の結果を見れば周知の事実だったか。そうした親こそが先にいる「結果」なのだから。
テレビ番組でバラエティと報道を一緒くたにして文句をつけてるように
物事の是非や善悪を区別のつけ方が出来ない奴が増えすぎだ!
≪ 続きを隠す
幅1メートルくらいのプラスティック製らしきテープルが飛んでるから非常に危険なので、冷静に「あたま気をつけろ」どころの騒ぎじゃない!たまたま、死傷者が出なかっただけ。投稿動画を見ればわかるが、プラスティックのテープルは、そこに突っ立ってるだけの大人にはぶつかっている。時間は十分にあるが、大人は誰も子に駆け寄っても来ない。
そうした周囲の親たちの人間としての劣化を見ることになった。どこかで子供が巻き込まれる事件が起きれば何だかんだとブツブツ抜かして大騒ぎし、確率的に事件が発生するだけなのに世の中を変な方向へ動かすくせに、今そこにある危険に大人は自分の子にも何もしていない。実体は「親としては恐るべき無能」だってことだ。無能、それは世の中の結果を見れば周知の事実だったか。そうした親こそが先にいる「結果」なのだから。
テレビ番組でバラエティと報道を一緒くたにして文句をつけてるように
物事の是非や善悪を区別のつけ方が出来ない奴が増えすぎだ!
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2019-04-06 Sat 18:59 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
2019-04-05 Fri
2019年4月5日放送 テレビ東京「所さんのそこんトコロSP」もう埋め立ててあったけど私の人生でもわかる東京ディズニーランドは埋め立て地で舞浜駅なのかを調べてたのに、なぜ大久保駅になったら勝手な思い込みで総武線にするんだよ!
この前は東中野を総武線って言ってたので是が非でも総武線にしたいのかな? コンピューター、インターネット用語で間違えを広めたのも同じだが、知らないくせに勝手な思い込みで語るのがマスメディアの悪。裏取りと称して事実関係の確認を取らないのが今の報道。日本語の意味すらねじ曲げるから、中にはガキの戯れ言も多いわけだが我々個人を非難する資格さえ失ってる。
電車ヲタクではないので単に都民としての認識だが、路線名で語るならば大久保は「中央線」であり「総武・中央各駅」とした乗り入れにすぎない。総武線(各駅停車)は千葉駅~御茶ノ水駅の間。千葉駅~銚子駅が総武本線。東京知らない方々、そこんトコロ夜露死苦!
地図が悪いよな。中央線と総武線が併記されてるから。だったら中野駅~三鷹駅は東京メトロ東西線も走るけど書いてない。中央線各駅停車だから御茶ノ水から三鷹までの区間に総武線と書く地図が悪い。
一般の認識は車両の色だけで、黄色=総武線、朱色=中央線 で線路の所在は無視。
侵略を受けて絶滅危惧種となった江戸っ子の末裔が何を言っても聞いてもらえないだろうが大久保を総武線と呼ぶのは違和感が激しい。品川も新宿も宿場であるように江戸ではないし、城下の低い土地の庶民の町を示してる下町なのに葛飾柴又を下町なんて呼ぶようなもので、「下町」と「下町情緒残る町」と混同して使われるのも困る(意味を曲げられた)。まるで「雨模様」を「雨が降ってる模様」の略だとでも思ってる誤認識。それと似た認識の違いを感じた。
千里中央は御堂筋線からつながってたって大阪メトロじゃないし、新神戸は東海道新幹線じゃなく山陽新幹線だろ。だから屁理屈じゃないんだよ。江坂から千里中央は北大阪急行線になってるなら、東京でも分けるならば「中央線各駅」とでも書いて欲しいものです。東海道五十三次では江戸 日本橋~京都 三条大橋 が有名だが大坂(大阪)まで街道を整備してるため東海道新幹線が新大阪までってのも理にかなってそうだ。
電車で誤認識が生まれる理由を考えてみたが、物理的な線路の名称と走ってる電車の名前が大昔は同一だったのに、接続、乗り入れを繰り返す事によって曖昧になったからではないか。
東京で言うなら長らく実体のない線は京浜東北線だけだった。東北本線各駅、東海道線各駅とも呼べ、山手線区間と根岸線と専用区間なし。ところが近年に「新宿湘南ライン」、「上野東京ライン」が増え、両端で行き先が異なってるため何線とだけ言われても行き先(分岐先)が複数あり客にとって迷惑でしかない。
総武線から中央線へは大昔から乗り入れてるが、他社線までの乗り入れは近代のほうが激しい。次は2019年11月30日からJRに相鉄まで乗り入れてくるから、ぐちゃぐちゃになってゆく。地理に詳しくないと名鉄名古屋駅みたいカオス状態である。いつものホームに着く電車に乗ったら違う方向へ行ってしまったなんてことに。
重要でありながら、もはや何線かもわからない!
移動手段ですから物理的な線路の名称(場所)を重視しなければならない。
まるでコンピューターのようで「使える人には使いやすく、使えない人には使いにくく」である。
≪ 続きを隠す
一般の認識は車両の色だけで、黄色=総武線、朱色=中央線 で線路の所在は無視。
侵略を受けて絶滅危惧種となった江戸っ子の末裔が何を言っても聞いてもらえないだろうが大久保を総武線と呼ぶのは違和感が激しい。品川も新宿も宿場であるように江戸ではないし、城下の低い土地の庶民の町を示してる下町なのに葛飾柴又を下町なんて呼ぶようなもので、「下町」と「下町情緒残る町」と混同して使われるのも困る(意味を曲げられた)。まるで「雨模様」を「雨が降ってる模様」の略だとでも思ってる誤認識。それと似た認識の違いを感じた。
千里中央は御堂筋線からつながってたって大阪メトロじゃないし、新神戸は東海道新幹線じゃなく山陽新幹線だろ。だから屁理屈じゃないんだよ。江坂から千里中央は北大阪急行線になってるなら、東京でも分けるならば「中央線各駅」とでも書いて欲しいものです。東海道五十三次では江戸 日本橋~京都 三条大橋 が有名だが大坂(大阪)まで街道を整備してるため東海道新幹線が新大阪までってのも理にかなってそうだ。
電車で誤認識が生まれる理由を考えてみたが、物理的な線路の名称と走ってる電車の名前が大昔は同一だったのに、接続、乗り入れを繰り返す事によって曖昧になったからではないか。
東京で言うなら長らく実体のない線は京浜東北線だけだった。東北本線各駅、東海道線各駅とも呼べ、山手線区間と根岸線と専用区間なし。ところが近年に「新宿湘南ライン」、「上野東京ライン」が増え、両端で行き先が異なってるため何線とだけ言われても行き先(分岐先)が複数あり客にとって迷惑でしかない。
総武線から中央線へは大昔から乗り入れてるが、他社線までの乗り入れは近代のほうが激しい。次は2019年11月30日からJRに相鉄まで乗り入れてくるから、ぐちゃぐちゃになってゆく。地理に詳しくないと名鉄名古屋駅みたいカオス状態である。いつものホームに着く電車に乗ったら違う方向へ行ってしまったなんてことに。
重要でありながら、もはや何線かもわからない!
移動手段ですから物理的な線路の名称(場所)を重視しなければならない。
まるでコンピューターのようで「使える人には使いやすく、使えない人には使いにくく」である。
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| emisaki | 2019-04-05 Fri 22:32 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
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