2019-03-21 Thu
松崎町の田んぼをつかった花畑にかかし設置の話題が新聞に掲載されており、「リアルかかし43体 田んぼ花畑に登場」となっていた。質問したいが、リアルじゃない案山子(かかし)って何ですか? 人間のことかな。 だとすると人間が扮したら「フェイクかかし」なんだろうな。「人間 : かかし=リアルかかし : フェイクかかし=人間」一回りして意味がわからん。「そうじゃなくない」みたい否定の否定は実に頭が悪い人の会話文で訳がわからない。まさか「リアルかかし」って言葉が狂ってること理解してないのだろうか? 屁理屈を言いたいわけじゃなく「マスコミが先生で、読者は生徒」の立場だと私は訴えかけてきたように、そういう用法から世間に阿呆が蔓延してきた...
「かかし」自体が人間の偽物であり、リアルは本物って意味だから「本物のかかし」って意味で使ってるなら「ルー大柴ことば」(英語+日本語)となるが、言いたいことであろう「本物の人間みたいなかかし(案山子)」って意味なら間違ってる。like real なのか like the real thing でもないからだ。
「リアルかかし」が「本物の人間みたいに見えるかかし」の省略形だとでも思ってるようだが、何かと新聞やテレビの字幕が収まらないって理由で「勝手な省略形」で、とんでもない社会迷惑なのである。前から怒ってきたよう日本人の間抜けな部分である「ことばが意味してる“実体”」のほうを消し去ってしまう「スーパー」や「携帯」なる表現。
私が前に購読していた電波新聞では「カラー」ってのは「カラーテレビジョン」の略で呆れた。いまどき白黒テレビはどこで売ってるんだい?って思ったし、略なら世間的にも「テレビ」(本場ではTV)であり専門用語じゃないから呆れてアホ扱いしかしてやれなかったよ。紙面の問題も「カラー」も「テレビ」も3文字である。何を言ってるのか勘ぐって読む新聞って何なんだと。恐ろしく狭い世界ならば変な言葉も通じるだろうが業界紙だろうと新聞である。
「リアルかかし」なんて誰が言ったか?そこは誰でもいいか。過去にテレビ番組で問題視してきたのは出演者が間違ったことを言ったまま字幕で恥の上塗りをすることだった。本来は正すのがマスコミのすることで、誰かが「すいません」と間違った日本語で謝ったとして字幕を出すなら「すみません」とするのが使命なのである。
大手新聞だろうと酷いもん。テレビが使い出せば存在しない言葉もすぐ使うようになった。漫画で画力が乏しいのか表現力がないのか知らんが「あ”」なんて存在しない文字を使う作者がいるが、新聞も目立つように迷惑ごとを平然と行うようになった。だから変なの見つけると東スポと変わらんと揶揄したりする。もう何年も前からだが普通のテレビ番組や新聞記事が東スポのような「引っかけ」を行うようになった。あえて引っかかってみると「何それ」で終わるので売り上げても一過性で終わり、待ってるのは心証の悪さ。
言葉を操る職業として本質を忘れてないか?古い例え方をするとレコード針が減るのがわからないように気づいたときには、とんでもなく消耗している(狂っている)のである。10年、20年前と比べてみたらどうでしょう。時代に合わせるところと絶対に変えてはいけないところが業界全体でわかってないように思う。
<追記 2019年3月24日:
本件はローカル紙でのことですが、後日に親会社が掲載した記事では「人間そっくり」と書かれておりました。
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「リアルかかし」が「本物の人間みたいに見えるかかし」の省略形だとでも思ってるようだが、何かと新聞やテレビの字幕が収まらないって理由で「勝手な省略形」で、とんでもない社会迷惑なのである。前から怒ってきたよう日本人の間抜けな部分である「ことばが意味してる“実体”」のほうを消し去ってしまう「スーパー」や「携帯」なる表現。
私が前に購読していた電波新聞では「カラー」ってのは「カラーテレビジョン」の略で呆れた。いまどき白黒テレビはどこで売ってるんだい?って思ったし、略なら世間的にも「テレビ」(本場ではTV)であり専門用語じゃないから呆れてアホ扱いしかしてやれなかったよ。紙面の問題も「カラー」も「テレビ」も3文字である。何を言ってるのか勘ぐって読む新聞って何なんだと。恐ろしく狭い世界ならば変な言葉も通じるだろうが業界紙だろうと新聞である。
「リアルかかし」なんて誰が言ったか?そこは誰でもいいか。過去にテレビ番組で問題視してきたのは出演者が間違ったことを言ったまま字幕で恥の上塗りをすることだった。本来は正すのがマスコミのすることで、誰かが「すいません」と間違った日本語で謝ったとして字幕を出すなら「すみません」とするのが使命なのである。
大手新聞だろうと酷いもん。テレビが使い出せば存在しない言葉もすぐ使うようになった。漫画で画力が乏しいのか表現力がないのか知らんが「あ”」なんて存在しない文字を使う作者がいるが、新聞も目立つように迷惑ごとを平然と行うようになった。だから変なの見つけると東スポと変わらんと揶揄したりする。もう何年も前からだが普通のテレビ番組や新聞記事が東スポのような「引っかけ」を行うようになった。あえて引っかかってみると「何それ」で終わるので売り上げても一過性で終わり、待ってるのは心証の悪さ。
言葉を操る職業として本質を忘れてないか?古い例え方をするとレコード針が減るのがわからないように気づいたときには、とんでもなく消耗している(狂っている)のである。10年、20年前と比べてみたらどうでしょう。時代に合わせるところと絶対に変えてはいけないところが業界全体でわかってないように思う。
<追記 2019年3月24日:
本件はローカル紙でのことですが、後日に親会社が掲載した記事では「人間そっくり」と書かれておりました。
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| emisaki | 2019-03-21 Thu 22:55 | 大衆媒体::新聞 雑誌 |
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