2019-05-03 Fri
2019年5月3日 TBS Nスタ 「大人気“格付け”雑誌に密着 忖度なし 辛口評価とは?」たまにはマスコミを見直す良い内容もあるか。そうじゃなければ困る。テレビが“オワコン”と呼ばれるようになったのも、政治思想の偏り、企業へ媚びへつらいばかりやってるからで我々視聴者が決めた内容じゃない。用がないものを見るわけがないのでオワコンとなった時は単なる自滅である。
その雑誌を調べたら2013年に月刊誌となっていた。これは私が昔から求めていた米国「Consumer Reports」の一部分を実現した雑誌でしょう。ほんの一部分だと思うのも本家Consumer Reportsでは自動車も試乗どころか衝突させて耐久性を確認まですることがあったからだ。
女性向けの「商品格付け雑誌」が人気だってのもなんとなくわかる。なぜなら論理的思考が強い男なら、そこに納得できる決定的な理由が必要で面倒くさいからな。女性の場合は理由よりも誰かが評価してくれた順位に、ごちゃごちゃ説明は必要ないってことでしょう。
だからこそ女性がする選択の危険性は、美容と言われたら科学的根拠なしでも動くし、ルーズソックス=太く見える / レギンス=短足に見える / 縦幅が細いメガネ=日本人顔ではブサイクへ / カラコン=人間じゃない不気味 などなど真逆効果ファッション、自分に似合わないのに「流行」なら消費活動するってほど自分が見えなくなる。そこを利用されて企業戦略に騙される。
評価する人たちが雑誌で行う内容次第で良くも悪くもなる。結局は食品や化粧品などで流行を作ってしまうのか、もしくは、本当に意味がある流れを作って仕事ができない企業を軌道修正させることができるだろうか?
個人的な要望としては、ありふれた商店街の店が作ってる商品を評価して欲しい(まずは有名商店街かな)。なぜなら個人商店の連中は自分の立ち位置が見えてないからで、全く改善しようって感じがしないからである。
シャッター通り商店街ができるのは「駄目な店」だらけに近隣住民が気づくことで起きる。おおかたの商店街組合なんて「三人寄れば文殊の知恵」も成り立たない。だから気づかせる必要がある。何もしなくても潰れる商店が生き残れるかは店主次第だ。
他の記事に書いてあったが、失敗の当事者として、他人のせいでも自分のせいにするでもなく、真っ先に改善手段を考え出すのが良い人材だと。
雑誌として苦情だの訴えられるだの怖がってたら訴訟大国アメリカで「Consumer Reports」だって成立してないだろ。消費者の事を第一に考え作ってるわけだし、結果を元に改善できないような企業はロクでもねぇーってだけさ。
テレビ番組でも酷評されても良いとして出てきてた飲食業があり、テレビ朝日「お願いランキング」の中のコーナーとして何度か放送されたが、続かなかったのは改善よりも悪評が聞きたくないって会社ばかりを意味してると私は感じた。出てくる企業は商品を酷評されたら改善するに決まってるんだ。他人の意見も聞かずに放置するよりマシだからな。有名なのがユニクロが初期にやったクレームに賞金を出したキャンペーンではなかろうか。
日本の良い部分を残し、悪い部分をなくすためにも、客に対して真実を隠して売りつけようとする提灯記事に未来があると思いますか? 真実が正しく機能しないならば日本人の概念を変えるべき。
たとえば「あんたの店のコロッケは安くもないのにコンビニよりまずい」と言って無視なら、その程度の人間が経営する店だと見放せば良いだけ。しかし、「買い物難民」なんて言葉があるように客が「生かされてる」ような立場だと店は何も進化しない。そんな商売を続けようとするからシャッター通りになる。
そして犯罪者じゃないんだから経営者としての一度の失敗を生涯の落伍者として決めつける日本人は間違っており、むしろ同じ失敗はしないであろう経験者だという価値を見いだすべき。本当に駄目な奴かはそこからじゃないかな。
日本は提灯記事が踊る雑誌ばかりで嫌気が差したから学生時代には外国の雑誌を買い長時間かけて読んでいた。市場の変化から私が買う時期には廃刊になったが MacWorld JAPAN は多数が翻訳記事だったため信頼できる内容だった。
そんなことで過去に批判したよう日本の写真雑誌の変な風潮に違和感を覚えたのがレンズで「ボケ味ばかりを語る風潮」だった。考えるに、写真家=芸術家と見ることができるのだが製品評価の文才はなかったわけで、雑誌ライターがそれを真似したため本質を評価することをせず、日本の写真雑誌から無意味なことまでボケ味に固執するようになったのではないか。
消費者は雑誌の論調に洗脳され本質を見失ってる。
総合的に日本のほうが良い製品を作るわけだが、性能の本質を語る上でも芸術性を語る上でも日本より欧米のほうが高いと思うわけで、だからオーディオやビデオも含めて無意味に近いことをゴチャゴチャ書く日本の雑誌より米英の雑誌のほうが真っ当だと感じた。
もちろん駄目なものを駄目と書けないのも広告で成立してる弊害。
いや、海外の雑誌も広告は載ってるから客より広告主第一は日本の体質だろう。
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だからこそ女性がする選択の危険性は、美容と言われたら科学的根拠なしでも動くし、ルーズソックス=太く見える / レギンス=短足に見える / 縦幅が細いメガネ=日本人顔ではブサイクへ / カラコン=人間じゃない不気味 などなど真逆効果ファッション、自分に似合わないのに「流行」なら消費活動するってほど自分が見えなくなる。そこを利用されて企業戦略に騙される。
評価する人たちが雑誌で行う内容次第で良くも悪くもなる。結局は食品や化粧品などで流行を作ってしまうのか、もしくは、本当に意味がある流れを作って仕事ができない企業を軌道修正させることができるだろうか?
個人的な要望としては、ありふれた商店街の店が作ってる商品を評価して欲しい(まずは有名商店街かな)。なぜなら個人商店の連中は自分の立ち位置が見えてないからで、全く改善しようって感じがしないからである。
シャッター通り商店街ができるのは「駄目な店」だらけに近隣住民が気づくことで起きる。おおかたの商店街組合なんて「三人寄れば文殊の知恵」も成り立たない。だから気づかせる必要がある。何もしなくても潰れる商店が生き残れるかは店主次第だ。
他の記事に書いてあったが、失敗の当事者として、他人のせいでも自分のせいにするでもなく、真っ先に改善手段を考え出すのが良い人材だと。
雑誌として苦情だの訴えられるだの怖がってたら訴訟大国アメリカで「Consumer Reports」だって成立してないだろ。消費者の事を第一に考え作ってるわけだし、結果を元に改善できないような企業はロクでもねぇーってだけさ。
テレビ番組でも酷評されても良いとして出てきてた飲食業があり、テレビ朝日「お願いランキング」の中のコーナーとして何度か放送されたが、続かなかったのは改善よりも悪評が聞きたくないって会社ばかりを意味してると私は感じた。出てくる企業は商品を酷評されたら改善するに決まってるんだ。他人の意見も聞かずに放置するよりマシだからな。有名なのがユニクロが初期にやったクレームに賞金を出したキャンペーンではなかろうか。
日本の良い部分を残し、悪い部分をなくすためにも、客に対して真実を隠して売りつけようとする提灯記事に未来があると思いますか? 真実が正しく機能しないならば日本人の概念を変えるべき。
たとえば「あんたの店のコロッケは安くもないのにコンビニよりまずい」と言って無視なら、その程度の人間が経営する店だと見放せば良いだけ。しかし、「買い物難民」なんて言葉があるように客が「生かされてる」ような立場だと店は何も進化しない。そんな商売を続けようとするからシャッター通りになる。
そして犯罪者じゃないんだから経営者としての一度の失敗を生涯の落伍者として決めつける日本人は間違っており、むしろ同じ失敗はしないであろう経験者だという価値を見いだすべき。本当に駄目な奴かはそこからじゃないかな。
日本は提灯記事が踊る雑誌ばかりで嫌気が差したから学生時代には外国の雑誌を買い長時間かけて読んでいた。市場の変化から私が買う時期には廃刊になったが MacWorld JAPAN は多数が翻訳記事だったため信頼できる内容だった。
そんなことで過去に批判したよう日本の写真雑誌の変な風潮に違和感を覚えたのがレンズで「ボケ味ばかりを語る風潮」だった。考えるに、写真家=芸術家と見ることができるのだが製品評価の文才はなかったわけで、雑誌ライターがそれを真似したため本質を評価することをせず、日本の写真雑誌から無意味なことまでボケ味に固執するようになったのではないか。
消費者は雑誌の論調に洗脳され本質を見失ってる。
総合的に日本のほうが良い製品を作るわけだが、性能の本質を語る上でも芸術性を語る上でも日本より欧米のほうが高いと思うわけで、だからオーディオやビデオも含めて無意味に近いことをゴチャゴチャ書く日本の雑誌より米英の雑誌のほうが真っ当だと感じた。
もちろん駄目なものを駄目と書けないのも広告で成立してる弊害。
いや、海外の雑誌も広告は載ってるから客より広告主第一は日本の体質だろう。
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| emisaki | 2019-05-03 Fri 23:17 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
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