2018-01-06 Sat
近年は本末転倒の論理で自己中に対して権利だヅラするのが増えてしまった。そういう人たちはマイノリティという言葉を旗に掲げて思考停止してしまって有無も言わさず自己中心的な行動で排斥されているにも関わらず少数弱者と勘違いして支持に加わる。区別がつかないのだ。例えば自転車を電車に持ち込むなんて田舎で認められてる路線でもあるまいし禁止というより無理だが、日本の電車の利用率と混雑率も知らない人は、なぜ駄目なのかってことになる。東海バスが自転車を搭載できる器具を取り付けた車両を作ったようだが、もし都営バスでそんなことをやったら時刻表なんて、あってない物になってしまう。そのくせ片方で日本の正確なダイヤに頼り、かつ、正確を要求しているのである。何から何まで自分勝手だ...
車椅子をお使いの方がベビーカー広げたまま乗車を擁護するのだが、車椅子とベビーカーは似て非なる物である。なぜなら後者は身体的問題のない自己中の産物だから(正しい使用でのみ親が楽する便利道具)。それで何度も見かけるようになった車椅子用の階段乗降機でベビーカーを運ばせるバカ親の登場である。この場合は弱者でもないし、そうした自己中は少数ではなくなった。
今の若年層どもは過去の都会の道徳ある社会構造がまるでわかってない。てめえらの親が都会も知らずブチ壊し、子連れ、いわゆる弱者に不親切をした成れの果てが今のくせに、田舎思想の人間のほうを都会に合わせるのではなく自己中どもの要求を飲まさせるのを良しとするバカらしさ。
だから能力のなさという実情から移民者の子孫を都市生活不適合者として区別するに至った。
私が小さい頃から周囲の大人を見ていたのと違って今は優先席で老人を前にして席も譲らずスマホをいじくってるクソガキからサラリーマンまで人間のクズだらけである。道徳を持つ都会人ならば最初から社会問題としてマスコミに取り上げられるような行動はしないのである。教育されてないがゆえの結末。
・弱者でありながら同時に自己中であった人
先日、夕方のワイドショーで車椅子を押してくれって人を取材していたのだが、私には弱者を助けて欲しいって訴えかけよりも、奴は自覚症状なしに助けられて当然だヅラをして、それを広めたいようにしか見えなかった。
段差が上れないから助けてくれって言うことではなく、特定場所まで押してくれってのはどういうこと?それは違うだろ。自立できる部分以上の要求をしていることに身障者である当事者がまるで理解してないし世間に真っ当なことは伝わらない。
そうして増えるのは親切の押し売りをする奴らである。
その裏返しから読み取れることは、老人に席も譲らない奴らの激増問題と同じで、今のガキどもが腐ってしまっており「助けろ」と言わないと駄目だってことを表しているのかもしれない。
私はそんなに古くさい人間ではないが昭和の高齢出産のたまものなので周囲との年齢差から古い人たちに育てられたため幼少期から見えるべきことは見てきた。だから混雑電車で「若いくせに座ってる」と思われたら精神的に苦痛となるため、おっさんになるまでは座らなかったね。いや、今でも年上がいたら座ってられなくなるが、周囲を見れば「立つのは俺じゃねーだろ」って思いたくなるほど腐ったガキどもに取り囲まれている。
まとな親ヅラしているお前らの子だよ。
そのように時代というか人種が変わってきて、どうすべきか考える能力もない連中ばかりなり、郷に入れば郷に従えないくせに勝手な持論を展開し、数の力で次々と田舎の常識でも都会の非常識であることを正当化してきた。
昨年2月に河津から帰りの話を書いたか忘れたが、言われたからでもなく、親切の押し売りをしたわけでもなく問題が発生していたのを見たから自然と助けようとしたのだがスーパービュー踊り子の車両の通路は車椅子が通れなかった。電動でもなくそれほど幅広でもないのに通れないほど狭い。
そのとき他の客は何もしなかったが入口近くの席を譲った(指定席の場所を替わった)のは香港から来た観光客だったのだ。強制する気はないけど、そこらにいた日本人は何やってんだお前らって思った。私は二人分の席を替わってあげられる場所ではなかった。
車椅子利用の当事者が交通機関に通知してなかった当人の責任もあるので、柔らかめに車椅子を使うときは乗る前に連絡しておくべきですと言っておいた。切符を買う時点でも言っておけば座席の配慮もあったかもしれないのだ。高齢者で助けられて当然だヅラはしてなかったが手を煩わせないためにも事前にすべきことはあったのを怠りすぎていた。
体がご不自由なのをその場で対応するのが当然だなどと思って行動するのは間違っている。昔ならそれでも周囲の誰かが助けただろうが、田舎だろうと核家族化が進んで社会関係性が希薄になってしまってる。
そのように弱者側の不手際や自己中についても議論の余地があるのに、周囲を含めて不道徳行為に自覚がない連中ばかりになってしまって議論の対象にされないのだ。自覚がないだけに何が悪いのかもわかってない。
そのほかにも関わってきていて思うのがテレビに取り上げられてた人の行動は方法論が大間違い。外国で手助けしなかった話があると一方的に酷いと思うのも無知であり、日本と違って訴訟大国やら親切に助けた側が訴えられる社会ってのもあるのだ。そんな日本人にしたくないなら正しく教えなければならない。たとえば目が見てる盲目の馬鹿=スマホ画面見ながら前を見ない奴らのことや、多くの放置自転車で歩道を塞ぐような無自覚を先に始末しないことには始まらんだろう。
ともかく勝手に都会にやって来たくせに、お前らが老人になり大昔からある都会のシステムである歩道橋が渡れないからエレベーター付けろだとか自己中を炸裂させ、役所は予算がないので要求に応じるために歩道橋を撤去するはめになり歩行者の危険を膨らませる状況にしてしまった。
筋違いの連中はお前らがしてきたことを自覚して責任も取れって言いたい。我がふるさと東京を道の歩き方も知らない腐った連中がまともづらして歩いてるのを見てられない。
| emisaki | 2018-01-06 Sat 23:06 | 生活::暮らしと社会問題 |
この記事に対するコメントの受付は終了しています。
コメント
先頭へ △