2018-01-11 Thu
ビッグデータとやらの今後に危機を感じてる。現状では世間の大きな動きと一致した統計だけであるが、徐々にそのデータが経済や流通を動かすようになって人々の実体を見なくなってしまってる。以前に経営能力のないコンビニ経営者を酷評したが、情報上の収支で改善点を見ようともしないよう人々の満足度が別であることに気づいてない腰掛け社員ならぬ道楽経営者を作り出す。個人個人が選んだではなく従わせた結果の多数派は正当な個人の意見の集まりではない。大多数が売り切れてて仕方なく買ったのが単なる売り上げになってしまう間抜けが今のビッグデータである。 「仕方なく買った」「買ってけど、まずいからもう買わない」ってデータは加わらない。客を見ることもままならないが統計データすらまともに使えない経営者ってのは相当いるのである。ビッグデータとは使えない奴がもっと頭を使わなくなるだけだ...
シャッター通り商店街は個人では太刀打ちできない所があるにしても、そのほか大部分の場合に自業自得が原因であって、シャッター通り商店街へと加速させるのは割れ窓理論のよう閉店した店が悪の相乗効果の原因となるからだから「数字」では救えなし、そもそもビッグデータは大企業が自社のために収集して都合良く使えるものでしかない。
別口で例えるばらば新幹線を作って在来線を市町村に押し付ける結末があるが、大企業が社会の迷惑かえりみず儲け話を考えるために利用するであろう。多様性をなくして企業が行う大きな道筋にだけ乗せるべく布石がビッグデータの収集だと危機感を持っている。それをなくして企業の社会貢献なんて見せかけで笑わせてくれる。
企業が利用したい内容の情報量の多さでパンクするほどのデータは収集されてない。だからって詳細データを提供する気もないが、オンライン上ではなく現実に足を使って集めるべきものが多いことをなぜわからんのだ。
私はコンピューターを「手を抜くための道具」と称したことがあるが、文字通りで誤解されては困り「人間が楽をする(仕事を早く済ませる)ための道具」という意味である。コンピューターを利用したビッグデータとやらは人間が楽をすると言っても「本当に手を抜くためのもの」、すなわち、仕事を適当に終わらす道具として使おうとしてるとしか思えない。表面上は統計だから大雑把には正しいってだけの流れで実は人々が求めた結果であるか怪しい。
いままでも統計データを元に企業は商売をしているわけだが多様性を含む分析じゃなく社会主義的な集団社会の統計もままならなかったからビッグデータなんて持ち出すのでは?
さてと、
一人でやっても意味がない事だが、例えば電車で行きにICカードA、帰りはICカードBを使うと人の動きを見失うのだが鉄道会社の経営に何の影響もないでしょう。なぜならそんなところは関わらないから。何年も経ってるが言うほどデータを使う必要性がなかった。現実は単純な統計でいいから。裏でどこまで解析してるかは知るよしもないが、可能でも企業としてカネの無駄だからやってないでしょう。
既に大企業の社員にあるのは学歴だけで必要な頭脳がない社員だらけとなり市場調査すればわかることも失敗から学ぶという二度手間な人材しかいなくなってしまった。現実な統計ってか、調査すらできない有様。過去にそれでパナソニックの海外エアコン展開を批判した。自分も含めて失敗からしか多くを学べないが、失敗しなくても済んだ市場調査を怠ったのは仕方のない失敗ではなく単に無能だからです。
人工知能(A.I.)が取り上げられるが、まだ人間が滅ぼされようとするのは早い。
もっと客という人間を見たらどうなのか!
<※ 2018年1月13日: 投稿ミスにより加筆訂正あり>
| emisaki | 2018-01-11 Thu 22:46 | 生活::暮らしと社会問題 |
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