2019-09-27 Fri
鹿児島県で起きた、あおり運転の末に多々の道路交通法違反、加えて暴行罪、脅迫罪の犯人が出頭したようだが、“地方症”と名付けてきたように勝手なことが許される環境で育った奴らが持つ 「精神病」 ですからマスメディアやSNSで騒がれても当事者とならない限り歯止めが利かないことが証明されたと言ってもよい。育ちは知らないが日本で唯一、都市を形成しても不道徳の巣窟となっているのが大阪を中心とした関西地域であり、大阪府松原市の僧侶はFRIDAYデジタルの取材(8月29日発行)に対し、暴言を吐いたことは申し訳ないと語るものの自己の運転の正当性を訴えるのみだった。
記事のタイトルは「急ブレーキ9回の煽り運転 渦中のトンデモ僧侶が語る呆れた言い訳」である。当然だがドライブレコーダーという証拠があり、急ブレーキで後方に脅しをかける前に道路に飛び出してくる時点で間違った運転をしていることは明白なのだ。ようするに、まるで言い訳になっておらず映像という証拠から嘘だとわかる。地方症=自己中を思い出そうか、だから中国なんかの映像を見れば自己中同士の争いが実に多い。
無理なのに相手を止めてでも道路に入ろうしてるが、そうじゃなければ私が前から“地方症”の特徴として出す「時間経過を考慮した認識能力の欠如」であり、思考停止して道路に入れると思ったかだ。どっちにしろ、あおり運転も暴言も、ましてや、胸ぐらを掴む行為をした段階で本当に正しい運転だったとしても関係ない。それは地方症のヤンキーどもに蔓延している精神病そのものではないか。
当然だ!歩きながらスマホ使うのが、どんなクソ行為かも知らない連中がうようよいる!
神々が地球人の言葉を通じなくさせて分断させた意味を悟ったが、再度必要になった。
ほかにも、まだ逮捕や書類送検の報道がない事件が多々ある。私自身が経験したように隣国の連中と同じで自身がやってることを平然と相手に向けて言う奇病だが、調子に乗ってんじゃねーって調子に乗ってるのはテメエのほうだとはフェラーリを破壊した原付バイクの犯人を見ればわかるが、幼少期から自分勝手なことが許された『お山の大将』で育った奴らに根付いてしまう「精神病」だということを社会が認識しない限り、事件が報道されようとも関係なく狂った人間は現れ続ける。
逮捕に画像公開は役立ち、刑罰として“市中引き回しの刑”は絶大な効果がある。
良い子と思ってるのは親だけで、こちらから見ればモンスター製造はテレビ番組を通じてでもわかる。今日も出会うであろう上り階段と下り階段もわからない連中、これは何を訴えてるのかも理解しないはず。親が理解してないこと子に伝えられるわけがないし、従来は教えなくても理解できたのも遺伝のたまものだと私は考えている。
<技術進歩が更に“地方症”を加速させた>
・公衆電話 → 携帯電話
公衆電話から携帯電話に急速に変わって無知なる者は列の並び方を学習することがなくなった。過去には不要だったが、コンビニのレジ前や銀行のATMなど線を引かねば一列に並べない連中は強制的にさせているだけで本質jは理解してない。
・券売機 → プリペイドカード(ICカード)
あらゆる自動販売機で言えることだが、駅の切符売り場が最も影響があった。ここでの問題は列の並び方ではなく、無駄な時間を費やすことで過去にちょくちょく
怒りを覚えたことは「券売機の前に立ってから財布を出すんじゃねぇー!」ってことで、中には券売機を前にしてから料金を確認する奴までいたのを思い出す。
集約すれば症例として「他人の存在を全く考えられない」で行動すること。結果的に自己中と同じだが、自己中は他人を認識しても自分勝手に振る舞う意味合いが強いが、“地方症”は目で見えていても他人を脳内で認識しないから精神病もしくは成長過程での脳の学習障害ではなかろうか。幼少期から自分勝手が許されると危険な思考、他人への迷惑を何とも思わない神経系が形成されてしまうのではないか。
状況証拠からすると、大勢の人間と関わった経験が遺伝的にもないため先天的に能力が備わってないという推論ができる。交通問題で今は「あおり運転」が目立っているが迷惑事はそれだけでは済まない。「あおり運転」で報道を賑わせた犯人の行動を見て、どこが障がい者じゃないと言えるだろうか。無罪にされない病んだ人だと言うことだ。社会や政治は次々と出てくる異常者をどう処理するのか?
≪ 続きを隠す
無理なのに相手を止めてでも道路に入ろうしてるが、そうじゃなければ私が前から“地方症”の特徴として出す「時間経過を考慮した認識能力の欠如」であり、思考停止して道路に入れると思ったかだ。どっちにしろ、あおり運転も暴言も、ましてや、胸ぐらを掴む行為をした段階で本当に正しい運転だったとしても関係ない。それは地方症のヤンキーどもに蔓延している精神病そのものではないか。
当然だ!歩きながらスマホ使うのが、どんなクソ行為かも知らない連中がうようよいる!
神々が地球人の言葉を通じなくさせて分断させた意味を悟ったが、再度必要になった。
ほかにも、まだ逮捕や書類送検の報道がない事件が多々ある。私自身が経験したように隣国の連中と同じで自身がやってることを平然と相手に向けて言う奇病だが、調子に乗ってんじゃねーって調子に乗ってるのはテメエのほうだとはフェラーリを破壊した原付バイクの犯人を見ればわかるが、幼少期から自分勝手なことが許された『お山の大将』で育った奴らに根付いてしまう「精神病」だということを社会が認識しない限り、事件が報道されようとも関係なく狂った人間は現れ続ける。
逮捕に画像公開は役立ち、刑罰として“市中引き回しの刑”は絶大な効果がある。
良い子と思ってるのは親だけで、こちらから見ればモンスター製造はテレビ番組を通じてでもわかる。今日も出会うであろう上り階段と下り階段もわからない連中、これは何を訴えてるのかも理解しないはず。親が理解してないこと子に伝えられるわけがないし、従来は教えなくても理解できたのも遺伝のたまものだと私は考えている。
<技術進歩が更に“地方症”を加速させた>
・公衆電話 → 携帯電話
公衆電話から携帯電話に急速に変わって無知なる者は列の並び方を学習することがなくなった。過去には不要だったが、コンビニのレジ前や銀行のATMなど線を引かねば一列に並べない連中は強制的にさせているだけで本質jは理解してない。
・券売機 → プリペイドカード(ICカード)
あらゆる自動販売機で言えることだが、駅の切符売り場が最も影響があった。ここでの問題は列の並び方ではなく、無駄な時間を費やすことで過去にちょくちょく
怒りを覚えたことは「券売機の前に立ってから財布を出すんじゃねぇー!」ってことで、中には券売機を前にしてから料金を確認する奴までいたのを思い出す。
集約すれば症例として「他人の存在を全く考えられない」で行動すること。結果的に自己中と同じだが、自己中は他人を認識しても自分勝手に振る舞う意味合いが強いが、“地方症”は目で見えていても他人を脳内で認識しないから精神病もしくは成長過程での脳の学習障害ではなかろうか。幼少期から自分勝手が許されると危険な思考、他人への迷惑を何とも思わない神経系が形成されてしまうのではないか。
状況証拠からすると、大勢の人間と関わった経験が遺伝的にもないため先天的に能力が備わってないという推論ができる。交通問題で今は「あおり運転」が目立っているが迷惑事はそれだけでは済まない。「あおり運転」で報道を賑わせた犯人の行動を見て、どこが障がい者じゃないと言えるだろうか。無罪にされない病んだ人だと言うことだ。社会や政治は次々と出てくる異常者をどう処理するのか?
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