2022-06-19 Sun
4月28日に行き、5月3日まで滞在することになったのも博多どんたくの本番とは別に関連イベントが開催されていたから。4月29日と5月2日の夜も関係があった。LCC航空なんてまだなかったし、往復じゃなく他所へ立ち寄るし、日程もゴールデンウィークだから割引なく、新幹線の割引を使うほうが安かった。
行き来したら交通費がかさみビジネスホテルに宿泊したほうが安上がり。ゴールデンウィーク前は簡単に予約できたが5月2日が全く取れず強行。移動すればなんとかなるって楽観。
天神の案内所で宿を斡旋してもらい料金300円を払った。ツインルームが空いてたのかビジネスホテルとは思えないすごく広い部屋で5500円くらいだったと思う。案内所の威力と言うか効力の大きさを痛感したのも前日まで泊まってた中州にあったホテルの部屋はユニットバスの空間とベッドを除くと壁面のテーブルと狭い通路のみ都市部では一般的な10平米くらいだった。
博多出身の人に言わせると久留米は遠いってことだが、東京駅からに当てはめてみたら東京~千葉、東京~立川、東京~上尾、東京~戸塚ってことだが関東とは規模が違うから感覚的に遠い。
地方の私鉄特有「待ってでも急行、特急に乗れ」ってことだった。危ねぇ走りな京浜急行電鉄の特急で品川~金沢八景が40.9kmで44分だから西鉄天神~西鉄久留米が32分って爆速だな。
行ったときの所要時間は不明だが新幹線の開業前。今は新幹線だと最短14分、遅くて17~18分。JRの博多から久留米だと有料の特急で最短32分、快速で最短35分、一般的には40分台。
4月30日から5月2日の平日は観光としてなら無駄に過ごしたと思う。太宰府天満宮へ行くでもなく、博多と天神を歩き回ってるだけだった。博多駅から天神まで歩いただけでなく、大濠公園の西側まで歩いた。
夜に現地の人に長浜ラーメン屋に連れて行ってもらったのだが、路線バスに乗せられ、元祖の店だと言う当時は小屋みたいな店。あっさり豚骨で記憶に残ったが、暗かったから場所がまったくわからない。2010年頃に3店舗が元祖を名乗ると新聞記事があったが、私が行ったのはそれよりずっと前だから複数の店がなかったと思われる。リポートを色々読んでいると、どうやら味まで私が行ったときと変わってしまってるようだから元祖の三つどもえっても何が元祖なんですかね?
2022-06-18 Sat
当時の記録に書いてないためリーマンショックで暇になったからかは忘れたが、時間ができたから名古屋へ行く前後に途中下車の旅をしていた。それまでも名古屋、大阪は、ちょこちょこ行ってたが学生時代まで戻らないと目的地以外をうろうろする時間が取れてない。あまり疲れずに当日中に着く必要もあるため乗換駅でしか降りてないが、熱海、静岡、浜松、豊橋。最初の熱海では行ってるようで昔の記憶しか残ってないのも、仕事が終わってから向かい、ギリギリ到着して花火を見たら速攻で帰宅って熱海に限らず多かった。
暗くなってから着いてると、地域の映像が記憶に残らないため行ってるのか行ってないのか自分でもよくわからなくなる。だから昼間に歩けたってことは小さい頃の記憶を呼び起こすには良かった。そのとき、まさか熱海に入り浸るとは思ってもみなかった。
以前に少しは記載しているが、古くを思い出せるだけ絞り出してみる。
回想:熱海市
小沢の湯から路地を入った先が何十回と行った宿だったが何やらピンク色のホテルアイオラになってた(2022年現在:夢いろは)。でも建物の記憶は変わってない。小さい頃に周辺をうろうろしてたのを辿ると抜けられる道はあった。小さい頃にマンションなんて建ってるはずもないが、子供をワクワクさせる通路も潰されずに残っていた。
→ アデニウム熱海翠光園 集合住宅の脇 [Googleストリートビュー] [他者の投稿写真]
「ホテルアイオラ」になったのは2001年以降になるが、「夢いろは」っていつからだっけと調べてると2015年9月と判明。調査過程で「アイオラは企業の保養所を改装」という記載を見つけたが、企業ではなく東京都職員、東京都地方公務員の保養所「かすみ荘」です。
優遇しすぎってことで平成13年頃に箱根など他所にあった保養所が全てなくなった。おこちゃまだから何も考えてないが今になって考えてみれば金持ちな家系でもないのに何十回と連れて行かれた理由がそこにあった。朝夕の食事付きで3千円くらいだったと思う。
コロナで疲弊しようと今も昔も東京都は金持ち。家族の人数分くらい発行されてたと思うが大磯ロングビーチが残りは東京都負担で大人1000円くらいになったから風当たりは強いわな。割引券のかすかな記憶があるが子供の自分の料金まで記憶にない。
熱海市内で通常料金で泊まったところって更に時代を遡り大成館くらいだが年齢が低すぎた時期で記憶なし。
回想:静岡駅周辺
地方局の原点とも言えるのが学生時代に見に行ってた静岡第一テレビのJanJanサタデー。東京からだから観覧応募にはなかなか当たらないってよりも貧乏学生に行くお金がない理由のほうが強かった(正確には学生じゃなく生徒か)。それでも結構な回数行ってた。
毎月1回だったかパルシェのときは誰でも観覧できた。調べてみると番組の末期だってようで、だからこそ酒井美紀も知ってて、あとになって「え、あの子」となったわけだ。
目的がそれだけだったから南側しか知らず、後になって静岡駅の繁華街って北側だったと知る。他局と比べて静岡第一テレビは変な場所にあるから知ってたのは住宅地。高校生になってから東京で番組観覧やイベント観覧をしてきたため地方局の現実を見た。取材カメラはスタジオカメラとしても使われていた。報道番組のほうなら箱型カメラもあったのでしょうが、ジャンサタは狭いスタジオだけ。隅っこに観覧席だから狭き門だったわけ。
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回想:熱海市
小沢の湯から路地を入った先が何十回と行った宿だったが何やらピンク色のホテルアイオラになってた(2022年現在:夢いろは)。でも建物の記憶は変わってない。小さい頃に周辺をうろうろしてたのを辿ると抜けられる道はあった。小さい頃にマンションなんて建ってるはずもないが、子供をワクワクさせる通路も潰されずに残っていた。
→ アデニウム熱海翠光園 集合住宅の脇 [Googleストリートビュー] [他者の投稿写真]
「ホテルアイオラ」になったのは2001年以降になるが、「夢いろは」っていつからだっけと調べてると2015年9月と判明。調査過程で「アイオラは企業の保養所を改装」という記載を見つけたが、企業ではなく東京都職員、東京都地方公務員の保養所「かすみ荘」です。
優遇しすぎってことで平成13年頃に箱根など他所にあった保養所が全てなくなった。おこちゃまだから何も考えてないが今になって考えてみれば金持ちな家系でもないのに何十回と連れて行かれた理由がそこにあった。朝夕の食事付きで3千円くらいだったと思う。
コロナで疲弊しようと今も昔も東京都は金持ち。家族の人数分くらい発行されてたと思うが大磯ロングビーチが残りは東京都負担で大人1000円くらいになったから風当たりは強いわな。割引券のかすかな記憶があるが子供の自分の料金まで記憶にない。
熱海市内で通常料金で泊まったところって更に時代を遡り大成館くらいだが年齢が低すぎた時期で記憶なし。
回想:静岡駅周辺
地方局の原点とも言えるのが学生時代に見に行ってた静岡第一テレビのJanJanサタデー。東京からだから観覧応募にはなかなか当たらないってよりも貧乏学生に行くお金がない理由のほうが強かった(正確には学生じゃなく生徒か)。それでも結構な回数行ってた。
毎月1回だったかパルシェのときは誰でも観覧できた。調べてみると番組の末期だってようで、だからこそ酒井美紀も知ってて、あとになって「え、あの子」となったわけだ。
目的がそれだけだったから南側しか知らず、後になって静岡駅の繁華街って北側だったと知る。他局と比べて静岡第一テレビは変な場所にあるから知ってたのは住宅地。高校生になってから東京で番組観覧やイベント観覧をしてきたため地方局の現実を見た。取材カメラはスタジオカメラとしても使われていた。報道番組のほうなら箱型カメラもあったのでしょうが、ジャンサタは狭いスタジオだけ。隅っこに観覧席だから狭き門だったわけ。
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2022-06-17 Fri
渋谷区神南からデカイ中継車に乗って新宿厚生年金会館まで行ったことがある。アルバイトで日本青年館とか渋谷公会堂も客じゃなく行ったな。頭脳労働する前。えーーヨドバシカメラ本社に建て替わってた! そして正しくは東京厚生年金会館じゃん。みんな新宿厚生年金会館って言ってたよ。2005年に終わってたか。
事情を飲み込めてない頃だが、思い起こせば2005年より前に宿泊で使っていた厚生年金会館ホテルが消滅してた時期。郵政民営化でメルパルクホールも消えたね。
ひろしまフラワーフェスティバルを見に行くときは広島厚生年金会館に併設された宿にしてた。名古屋、大阪ほかより綺麗だった記憶がある。広島市文化交流会館へ変わってるが宿泊施設は残ってた。広島駅から離れてるが平和大通りまで徒歩5分でゴールデンウィークだってのに取れる穴場だったんだよな。
大阪はタワーマンションとオリックス劇場になり、名古屋もタワーマンションになって跡形もなくなった。
福岡は北九州だったから1度しか行ったことがないが、周辺ごと綺麗な建物なのに人がほとんどいないって印象だった。今は北九州ソレイユホールってことだが泊まってないから記憶にない。
オチとして宮城は仙台駅からけっこう歩いたって思ったら厚生年金会館じゃなく県民会館でした。
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