2019-09-01 Sun
板橋区だかで一度も使ってない喫煙所が住民の反対で移転というのがニュースになっていた。確かに細い道で地下鉄駅の入口の横って最悪の場所に作られていた。無能な計画で多額の税金が無駄になった。移転先は地球外にしていただきたいものだ。ほかにも某9条改正なら20条は破棄しないと人類は進化できない。入れ墨やタバコ、どこの部族ですかと尋ねたくなるし、鼻に金具を付けてるのはどこから逃げてきた家畜かと思うほどで未開思想からいつ卒業できるのか、お聞かせ願いたい。問題は喫煙所とやらが「隔離施設」ではないこと。単なる囲い、何の意味もねぇ! 錦糸町駅前も最悪と言え、南口は改札口から駅ビルを出た目の前の右側、バス停へ行く道沿いで風向きによって毒ガスを喰らう。北口はバス停ではないが大通り沿いで何の囲いもなく逃げ道がない。息を止めて突き抜けるしかない。自動車の排ガスのほうがヤク中どもの“肺”ガスより綺麗になった。
2019-09-01 Sun
テレビっ子から始まり長年の視聴からこのところ2~3年で急速に広まったのが「ご飯屋さん」という訳のわからない言い方である。テレビの悪いところで連鎖的に真似を開始するから気づいたときには広まっていたので誰が発祥かわからないが、個人的な感覚では芸人を使ったフジテレビの街をブラブラする系統番組ではないかと疑ってる。ゴールデンタイムの秘境路線バスで飲食店を探す番組でも出演者がやたら言うが真似して言い出した側である。丁寧語と勘違いして使ってる印象が強い。俗に言う「ファミコン言葉(ファミレス敬語、コンビニ敬語)」の流れではないか。だから中高年の旅番組では謙譲語や丁寧語を正しく使うため聞かず、また、近代グループでブラブラ番組の原点な「モヤモヤさまぁ~ず」なら目上のゲストも登場しないため素でいってるため「メシにしようか」で済んでいた...。
テレビ番組は字幕の誤字には平謝りなのだが出演者は放送禁止に触れない限り謝ることがない。よって、月曜テレビ朝日の「帰れマンデー見つけ隊」、サンドイッチマン(芸人名)は飲食店と言うことがあるものの、多々「ご飯屋さんありませんか」とか言うが、ナレーションでは絶対に言わず「飲食店」である。
言い始めたらテレビ出演者が急速に乱したことは数多くある。「高輪ゲートウェイ」なる駅名に批判が集まったのと同じであり、「E電」だったら誰も使わなかったが駅名では逃れられない。腐っても最大のマスメディアであるテレビ番組からは逃れられない変なことが多々でてくる。
善し悪しあれ、誰も言わなかったことを、誰もやらなかった事を急速に広められた事はあるため、文法上とか責められない 「ご飯屋さん」は単に気持ちが悪いとしか現段階では言えない。
食堂、飲食店、お食事処と言ってたが、「メシ屋」が良くて「(ご)はん屋」がなぜ駄目なのかと言われたら簡単には反論できない。短期間に広められ、それ以前に言う人は皆無だったからとしか言い様がない。眼科医(がんかい)のことを目医者(めいしゃ)と言う人もいる。それを例に全てが通用するなんて言い切ってしまう奴も頭が悪いから深く考えないといけない。
銭湯・湯屋と風呂屋ではそうした関係にはならず風呂屋では風呂桶の販売店と認識するが、調べると関西では銭湯のことを風呂屋と呼ぶようだ。そうだとトイレは便所屋なのか? TOTOかINAXのことじゃないのか。
では、なぜ温泉屋とは呼ばないかだが推測するに商売は自然に湧出していたのを利用していたからではないか。欲望の果てに所有物としたのは自主的に掘れるようになった近代だから。いつの時代も悪党はいるものの昔の商売人は自然の恵みをウチの物なんて言う奴は排除されたのではなかろうか。ですから温泉旅館や湯治場はあっても温泉屋なんて言葉は存在しなかったと。
こうした例を元に考えると、善し悪しの前に言葉遣いに知的(大人)か稚拙(若年)かの違いを大きく感じる。自動車販売店のことを誰も「ブーブ屋」とは呼ばないから。こんがらかってくるが「ぽっぽ屋」があるじゃんと事典に載ってたのは浅田次郎の短編小説、映画化で有名なだけで一般的に鉄道員の俗称だったという証拠は見つからない。掲載されてないってことは使われたとしても業界用語止まりってことか。知れ渡ってれば俗語でも掲載されてる。
たとえば赤ちゃんに向かって あえて幼児語を使ってるなら解るが、平時に大人同士が幼児語を使ってたら気持ちが悪く見られても当然。問題は明らかに幼児語ならば大人が日常で使うことはないけど、区別が付きにくい言葉ほど広まってきた。以前から問題視してるがテレビやインターネットは「正す(議論)時間を与えず正当化」してしまった。
テレビ番組出演者が方言だと認識しないことを無意識に広めることもある。例として有吉弘行が良く言うのが「むりくり」で、意味は「無理矢理」と同じ。語源辞典によると「無理矢理」の矢理は当て字で「遣り(やり)」だったとのことだから、「無理に遣り繰り」の「繰り」のほうをくっつけてしまった地域があったのでしょうか?ところが単体で「遣り」と「繰り」の意味を調べると「繰り」では「無理遣り(強引に売る)」とは意味が違ってしまうから間違えてる。携帯電話をケータイなどと実体を捨てる言葉を多々言う民族ですから省略するのに言葉の意味なんて考えないのかも。
Googleに無責任だと言いたくなるが、ネット検索は危険で「むりくり」だけで検索すると上のほうに私が敵視してる出所不詳かつ運営不詳なパクリ情報サイトが出てきた。しかもGoogleは専門家ヅラさせて表示する。ですから見極めた「専門」のみを信用して考える。
全体が変なことを言い始めたら、それが正当って持ち込み方が怖い。それがまさに私が小さい頃から怒ってきた「都市生活不適合者」で、ちょっと前にやって来た不適合な奴の事を後から来た奴が真似をして都会人ヅラして集団で都会の秩序を急落させ自分らは未だにまともヅラしたままと数の力は必ずしも正当ではない。
言葉も伝言ゲームのよう意味不明になれば伝わらないが、「はくや」が「びゃくや」にされてしまったよう外国人が日本語勉強での挫折点であるよう音訓のみならず多数の読み方がありすぎたのも日本語特有の問題。漢字能力検定のページには「生」を使った言葉(熟語)などで「生」には100以上の読み方があると書いてある。(別のところで150以上とも言われてる)
加えて小学生レベルの20代が相当いるように過去の人と現代人は成熟年齢が全然違う。江戸から昭和時代にかけた変化が昭和から平成の短期間で起きた。こうした背景も変を変と議論もせずに、おいそれと受け入れる環境になったのではなかろうか。もっと変な言葉遣いがあるっても若年層のは一過性のことで大部分が長続きしない。そこをかいくぐって生き残った言葉くらいは多数が使っていたらしょうがない。
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言い始めたらテレビ出演者が急速に乱したことは数多くある。「高輪ゲートウェイ」なる駅名に批判が集まったのと同じであり、「E電」だったら誰も使わなかったが駅名では逃れられない。腐っても最大のマスメディアであるテレビ番組からは逃れられない変なことが多々でてくる。
善し悪しあれ、誰も言わなかったことを、誰もやらなかった事を急速に広められた事はあるため、文法上とか責められない 「ご飯屋さん」は単に気持ちが悪いとしか現段階では言えない。
食堂、飲食店、お食事処と言ってたが、「メシ屋」が良くて「(ご)はん屋」がなぜ駄目なのかと言われたら簡単には反論できない。短期間に広められ、それ以前に言う人は皆無だったからとしか言い様がない。眼科医(がんかい)のことを目医者(めいしゃ)と言う人もいる。それを例に全てが通用するなんて言い切ってしまう奴も頭が悪いから深く考えないといけない。
銭湯・湯屋と風呂屋ではそうした関係にはならず風呂屋では風呂桶の販売店と認識するが、調べると関西では銭湯のことを風呂屋と呼ぶようだ。そうだとトイレは便所屋なのか? TOTOかINAXのことじゃないのか。
では、なぜ温泉屋とは呼ばないかだが推測するに商売は自然に湧出していたのを利用していたからではないか。欲望の果てに所有物としたのは自主的に掘れるようになった近代だから。いつの時代も悪党はいるものの昔の商売人は自然の恵みをウチの物なんて言う奴は排除されたのではなかろうか。ですから温泉旅館や湯治場はあっても温泉屋なんて言葉は存在しなかったと。
こうした例を元に考えると、善し悪しの前に言葉遣いに知的(大人)か稚拙(若年)かの違いを大きく感じる。自動車販売店のことを誰も「ブーブ屋」とは呼ばないから。こんがらかってくるが「ぽっぽ屋」があるじゃんと事典に載ってたのは浅田次郎の短編小説、映画化で有名なだけで一般的に鉄道員の俗称だったという証拠は見つからない。掲載されてないってことは使われたとしても業界用語止まりってことか。知れ渡ってれば俗語でも掲載されてる。
たとえば赤ちゃんに向かって あえて幼児語を使ってるなら解るが、平時に大人同士が幼児語を使ってたら気持ちが悪く見られても当然。問題は明らかに幼児語ならば大人が日常で使うことはないけど、区別が付きにくい言葉ほど広まってきた。以前から問題視してるがテレビやインターネットは「正す(議論)時間を与えず正当化」してしまった。
テレビ番組出演者が方言だと認識しないことを無意識に広めることもある。例として有吉弘行が良く言うのが「むりくり」で、意味は「無理矢理」と同じ。語源辞典によると「無理矢理」の矢理は当て字で「遣り(やり)」だったとのことだから、「無理に遣り繰り」の「繰り」のほうをくっつけてしまった地域があったのでしょうか?ところが単体で「遣り」と「繰り」の意味を調べると「繰り」では「無理遣り(強引に売る)」とは意味が違ってしまうから間違えてる。携帯電話をケータイなどと実体を捨てる言葉を多々言う民族ですから省略するのに言葉の意味なんて考えないのかも。
Googleに無責任だと言いたくなるが、ネット検索は危険で「むりくり」だけで検索すると上のほうに私が敵視してる出所不詳かつ運営不詳なパクリ情報サイトが出てきた。しかもGoogleは専門家ヅラさせて表示する。ですから見極めた「専門」のみを信用して考える。
全体が変なことを言い始めたら、それが正当って持ち込み方が怖い。それがまさに私が小さい頃から怒ってきた「都市生活不適合者」で、ちょっと前にやって来た不適合な奴の事を後から来た奴が真似をして都会人ヅラして集団で都会の秩序を急落させ自分らは未だにまともヅラしたままと数の力は必ずしも正当ではない。
言葉も伝言ゲームのよう意味不明になれば伝わらないが、「はくや」が「びゃくや」にされてしまったよう外国人が日本語勉強での挫折点であるよう音訓のみならず多数の読み方がありすぎたのも日本語特有の問題。漢字能力検定のページには「生」を使った言葉(熟語)などで「生」には100以上の読み方があると書いてある。(別のところで150以上とも言われてる)
加えて小学生レベルの20代が相当いるように過去の人と現代人は成熟年齢が全然違う。江戸から昭和時代にかけた変化が昭和から平成の短期間で起きた。こうした背景も変を変と議論もせずに、おいそれと受け入れる環境になったのではなかろうか。もっと変な言葉遣いがあるっても若年層のは一過性のことで大部分が長続きしない。そこをかいくぐって生き残った言葉くらいは多数が使っていたらしょうがない。
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| emisaki | 2019-09-01 Sun 13:47 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
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