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観光復活への道のりは遠い
【観光復活への道のりは遠い】

 観光地は自主的な行動制限にて危機的な状況に陥ってるくらい感じ取れる。新型コロナウイルスの感染者数は人間がしでかした事であって、ずっと概念、基準が違いすぎると唱えてきた。

 ですからこちらから世間を見渡すと「自粛したつもり」「感染対策したつもり」にしか見えなかった。俗に言う価値観の違いではなく無秩序か真っ当かの違いだ。

 集団生活能力もない「地方症」な連中で溢れかえってるから自由と勝手の区別もつかないくせに「価値観の違い」だとか問題をすり替えて自分の行動を正当化しようとする大衆。

 そりゃそうでしょ、あおり運転なんてする奴に「あんた頭おかしい」って言っても通じない。通じてれば最初からあおり運転なんてやらないのと同じ育ちで凝り固まった概念は抜けない。

 私は経路上の安全性が認められないため旅立ってないが、模索してきたよう頭ごなしに旅しちゃいけないとは考えてない。地方症と名付けてきたように歴史的に集団生活能力がない人々は二極化して正しい方向性を理解できない。「自粛の同調圧力」から大勢が持ってる危険思想「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という集団的自分勝手へと移った。

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 このあたりが理解されること考えられないため、コロナ収束以外では救われないよ。ようするに一定の確率で発病し、誰か死ぬことを強制されて生活する気だ。真っ当ならば「旅行するな」なんて要求してない。自分勝手に「感染対策したつもり」なんて間抜けだらけだから怒ってる。



 テレビ報道では自家用車だから人と接しないって言いながら江ノ島の海岸に集まる意味不明な人達。「地方症」と呼ぶ大多数には他人の存在というものが真から理解できない。集まるのが危険ってのに人が大勢いる場所へ行く異常性。失礼ながら東京近郊なら千葉県の無名な場所や海水浴場は少ないが東側じゃなく西伊豆にでも行けばガラガラだぞ。

 江ノ島付近の海岸は過去が足の踏み場もないくらいの有様だっただけで、コロナ禍と考えたら減った今でも多い。私は限りなく少人数にしか出会わない新しい観光を模索して実行に移せない状況であるが、地方症で埋め尽くされた世間は違う。今は感染者数が多すぎてしまって引っ込んだだけで、それ以前から感染者を増やしてきた原因がテメエらの対策してるつもりで活動を開始した事にあることを全く理解してない。そこへ感染率が高いBA.5なる変異株がやってきた。

 繰り返し、なぜ集まるのか? 京都祇園祭で密集してる客を酷評したが密集せずとも観光はできる。「ウイズコロナ」、「新しい生活様式」に従ったつもりだけで各地の興行や観光業者は何を変えたと言うのか? 何も変えてないね。

 感染対策は変えたことに含まない。店を構えていた人が通称キッチンカーで路上販売するくらい業態を変える必要があったが、大多数は現状に悲観して何もせず、そうした中から一定の割合で他人に刃を向ける人が出て異様な事件が増えた。特殊な例だけじゃなく多くの連中がキレ出してきて、そんな人間のクズを放置できない俺もキレなければならなかった。



【地域の品位を汚す事業者】

 宿より飲食店のほうが打撃なんだろうけど、SNSでバカの苦情にバカを持って反応してる(未確認のため自称)経営者がいるが、客観的に双方を見れば店側も大差ない阿呆。

 ようするに業者の投稿が観光地の品位を汚している。そいつがどうかは知らんがプチブームに乗って移り住んだり商売を始めたが土地に似つかわしくない人間が増えたと思う。

 なぜなら新参者が「インスタ映え層」の集客に成功しようとも、古くから開いてる店と、急にできた店ではやはり品格が違うと感じたから。人間性の違いが激しい。



 もう10年前の話ではあるが、知る人ぞ知る場所にあり、並んでもいた町の中華屋が商業地に移転して観光地価格化してしまった。事情がわからないのだが、のちに元の場所も復活の兆し。

 既に私が立ち寄らない場所になって現状を知らないが、某所の近くで数少ない飲食店だった。しかし、店が小さく日曜日は混んでて9割以上の確率で入れたことがなかった。

 場所が変わったってのもあるが、移転してからは昼どきに何度前を通っても待つことなく入れる店になっていた。何年か生き残ってたら入っても良いと考えるから。

いまの時代は「観光地価格」って、また行こうと思わせなくする。若年イチゲンさんへは印象悪い。

 土地代が高い東京でも競争が激しいためコストパーフォーマンスが良い店しか生き残れない。よって「見極める力」が高くなってくる。商店街が潰れる当然の理由としてあるように、広域として己の立ち位置を知らぬほと潰れることになる。

 千円のところ1万円出せば良いに決まってるだろう。ところがそれって本当に1万円も必要なのかってのは東京のような都市のほうが多く感じる。我々庶民は千円のところ、観光地の付加価値として1500とか2000円とか限度がある。ところが3000円で、たいしてうまくもなかったとなれば客観的な評価はできず、通常より悪評となってしまう。反対に景観や雰囲気から割高なのに好印象となることもあろう。




【プチバブル 2012→2019年】

 年間宿泊客数が底の時期を知ってる側からすると東日本大震災が起きた2011年の約240万人まで下がり続けていたため地震の責任ではない。その当時の観光地を維持できるならば、あのときのほうが良かった。

 「私が盛り上げました」ヅラの人もマスメディアに取り上げられてきた。回復要因は役所が仕掛けたメディア誘致の効果で、市民の功績は撮影に協力しただけ。上昇気分に業者が乗じて事業活動を開始したのに手柄だと勘違いしてる人が一定数いる。ならば役所が仕掛ける前に何か成功しましたか?間違って思い込むと下降に転じたとき対応できなくなる。事態に流されているだけだから。

 大手が強いに決まってるのも各地で客を相手にしてきたからと財力。個人経営では時代に合わせた建て替えどころか改築すらままならなず、負の相乗効果へ陥ってきた。

 年間300万人越えでタナボタのよう増えた宿泊客数の増加も2015年頃から横ばい。バブル崩壊からリゾートマンションを建てさせ、景観で陰になる旅館を潰して泊まるにも受け皿がないのだから物理的に宿泊客数の限界は見えていた。

 「客室稼働率」を見てのことでしょうが過去からの戦略として見えたのが平日に客を呼ぼうとする。世の中、そんな暇でお金がある人ばかりではなかったようだ。

 インスタ映えが終了したら二度目は無いであろう若年層だけなら「釣った魚にエサはやらない」も通用するが、固定客であった中高年層にはマイナスに働く流れも感じた。

 東日本大震災の頃の落ち込みから客数が増えて喜んでいるのだろうが、どん底から増えた70万人ってのは「上客」だろうか?私は純粋な増加とは思ってない。推測でしかないが、もっと増えていて、従来からの固定客を失った差し引きの結果だと見ている。それが間違ってるか、正しいかは客を分析できる立場ならわかる。

事業投資を呼び込んだのも事実であるが、長い目で見てプラスとマイナスは どちらが大きいか?

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| emisaki | 2022-07-24 Sun 17:58 | 伊豆::考察・批評 |