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年寄り同士から意図せず発生するデマと認知症
コロナ禍で面倒を見ることになって色々わかってきた。

 高齢者症状(認知症)はある段階ごとに急に悪くなる。外部の人にとっては正常に見えても接してるのが長いと通常の中に異常が含まれていることがわかる。誰もが徐々には衰えているだろうが脳の問題はどこかが崩れてゆく感じ。崩れてない部分は普通に見え、崩れた部分で狂いが出てくる。よろけて転んだりしてるため頭をぶつけて症状が悪くなる可能性もあるのでは。

 当人はそう思い込んでしまってることも実際には妄想。これを正すべきかが問題で、意固地になる性格だから言うと、もう死んだほうがいいとか老人ホームに入るだとか体が悪いことも含めて思い込むため、良い選択が見当たらない。

 その発生の流れが見えてきた。「 A は、B だから C」と言う場合、「A は C」と繋げてしまったり、最悪は「C」だけで条件を聞いてない。例えば「20年前に新品種として出てきたブドウ」とテレビで言われたとき「新品種が出たから買ってきてと言い出す」。認識が狂ってようともテレビから得たら正しい。あの年代では元からテレビが言うことは全て正しいと思ってるからな。

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 更に井の中の蛙…となり、そこらの商店街で売ってると思ってる。たとえばシャインマスカットであれば東京23区内だろうと田舎の商店街で売ってるはずもなく、目黒、世田谷ならまだしも、こっちのスーパーマーケットじゃ一房3~4千円さえ扱うことは無い。かなりの安物なら出回るが、それでも2千円はするだろう。

 倹約して高いフルーツを買ってきた私はそこそこ知識が付いてるわけで、デパートなら売ってるが地元じゃ見たこともない代物。私が買ってあげたのはシャッター通り寸前の商店街で売ってるはずがない。店先でタバコくわえながら商売してしまう程度の低さだからな。俺は絶対にそんなところじゃ買わない。

 婆ちゃん頭の中だと時間軸が昨日と10年前も同じ。更に時間が停止していると言えば自分が歩いて買いに行ってた店が自分の世界。もっと前には電車に乗って買い物に行ってたが、それはもう頭にはないらしい。縮まった世界が今の全て。還暦の赤い衣装は赤ん坊に戻る意味とは的を射ており、昔より寿命が延びてるが結果は同じ。まるでビッグバン(膨張)からのビッグクランチ(収縮)だな。

 また、近所の人が「どこかでお経のようなのが聞こえた」から別の近所に爺さんがいるため、何かあったと結びつけてしまったのだが、このときは私がいたので知ってる。新築するらしく空き地で「地鎮祭」をやっていた。そこから妄想が膨らんでしまったのだが、近所の人っても高齢者のため判断能力が衰えているわけ。

 中年の井戸端会議でも訳のわからないことは飛び交うだろうが、高齢者だと恐ろしい妄想になるわけ。インターネットと真逆で広まりにくいってのが救いとなっている。

 認知症状であると私が地鎮祭だと言っても自らが一度決めつけてしまったことがぬぐえない。将来、自分も患うと思うと嫌になるが、今日分析していることすら認識できなくなってしまうだろう。

 医者にしてみれば94にしては元気なほうだってのは私も理解してる。なぜなら近所に80歳まで達してないと思われるがゴミを出す日も分別もできず、ムクドリに巣を作られフンまみれの窓があっても何もしない廃墟じゃなくても近所迷惑がいても当人は話が通じない。責任を持たない子孫(家族)って何なんだ!?

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| emisaki | 2022-08-22 Mon 23:10 | 生活::社会問題 |
みんなファッショナブルは非日常だから@じゅん散歩を見て考える
2022年8月22日 テレビ朝日「じゅん散歩」

 私の人生で語れる大きく変わったのは表参道。原宿のほうは小さい頃には竹の子族とか既にいた時代となるが記憶にあるのは芸能人の出店ラッシュかな。

 表参道は学習塾の冬期とか夏期講習会場が渋谷の國學院大學だったため期間中毎日の通っていたときの乗降駅。小学高学年だが、まだその頃でも今とも当時の渋谷や原宿とも違って閑静な街だった記憶がある。それがよかったと考えると私は小さい頃から「バカの群れ」が大嫌いだったようだ。

 「みんなファッショナブル」の裏返しは小さい頃に言われてた事に通じる「つっかけ履いて三越(日本橋)行けないような奴は田舎者」って言われてたからな。金持ちでもなく高級という考えでもなく、それが日常の一部だっただけ。イトーヨーカ堂、ダイエー、イオン(当時はサティとかジャスコ)なんて大きくなるまで都心部じゃなく下町風情残る場所に住んでても無いから知らなかった。

 方向性は違うが渋谷、原宿も銀座も変に祭り上げたのは地方出身者であろう。財を成そうと財に群がってくるのは今も昔も同じである。だから昔からブームとなった街は汚されてきた。年代的に知らないが情報として知ってるのが清里。知ってるのは軽井沢で原宿と同じ芸能人の出店が相次いだ。新島だの石垣島だの離島ブームもあった。近年で私が知るところ熱海では部外者同士(移住事業者と観光客)の争いが聞かれる。地元にしてみれば潤うというより大迷惑である。

 若年層の昭和ブームってのは平成生まれで令和に生きてるからこそ言えること。持ち腐れだがスマートフォンを使ってるような奴が耐えられるわけがない。同じ都市生活不適合者だったとしても昭和のほうが節度があって今は自己中が大手を振って歩く酷い人間たちだらけであるが、生活を考えると昭和に戻りたいとは思わなくなる。

| emisaki | 2022-08-22 Mon 10:09 | 大衆媒体::テレビ全般 |