2022-10-12 Wed
おい自己中ども、コロナ終わったヅラしてんじゃねーぞ。出口だって見えてない。例によって欧米の阿呆どもが正しいとして、経済活動のために弱い奴は死ねの非道を選んだだけだ。やはり地方症を患ってる連中は自社内でよければ社会はどうでもいいんだな。番組コメンテーターだって、そんな奴らばっかりじゃん。若年層でも感染対策しているのが多い理由は他人の事を考えてる訳じゃなく、自分が危険だからマスクをしているにすぎない。
マスク外してよしとした企業のオフィスだがエアロゾル感染としては十分すぎる距離、一般的で大きくもない事務机で隣り合った人が並び、更に列になってるのが紹介されたが追従されると恐ろしい。面と向かって会話するときや会議室ではマスクを付けるとされていたが、会議室とオフィスの何が違うのか理解不能だ。
繰り返すが、田舎の室内より都会の屋外のほうが危険である。場所は傾向でしかなく、状況で定めれば絶対なのである。ということは集団の室内は危険のまま。どうしてこうも集団の社会も知らない自己中育ちの田舎者が決めるのか?
テレビ報道では「マスクやめるならパーティションも取れば」と言われてたが、パーティションは直截な飛沫感染防止、その場合のマスクはエアロゾル感染予防、同時に保菌者ならば昔から日本人がやってきたよう撒き散らさないため。だからコロナウイルスに限ったことではない。
予防したから新型インフルエンザが激減して、今年は予防のたがが外れた自己中どもが広め始め、過去2年間は無いも等しかった学級閉鎖が今年は増えてしまった。毎年形が変わってるから感染しない限り誰にも免疫は無いんだからコロナ対策によって減らせていたほうが良いに決まってる。ワクチンはコロナでもインフルでも感染予防にはならず発病しても重症化を防げるだけだが、それが他者への感染を抑えることになる。
究極の自己中な外国人から見たら日本は集団主義で社会主義的に見えるわけだが、集団生活のなんたるかを得た子孫からしたら日本人も自己中だらけ。社会モラル無しは日常生活に現れている。
感染対策の意味、もう忘れ始めた。地方症という自己中育ちな人間こそ最も恐ろしい。
| emisaki | 2022-10-12 Wed 09:44 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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