2025-02-17 Mon
別件で事故物件を扱う不動産屋を地図で見たら衛星写真なモードであったため近くに興味あるのが見えてしまった。葛飾区高砂7丁目、Googleストリートビューは2022年8月のため完成してるかもしれない。こりゃ立ち退きで可哀想だと思ったんだが15年くらい前の写真にて、どうやら暗渠の上に歩道のような構造で最初から家はなかった。その横に細い道路だったため全体を使った道路にしてる。
立ち退きが見えたのは「東用水せせらぎ通り」と斜め交差する新しい道路はGoogleストリートビューにて2022年9月と2013年6月を見比べるだけで大々的な立ち退きがあったのがわかる。
何が意味不明かって、東用水せせらぎ通りのほうを拡幅したいはず。南下して江戸川区に入ると「鹿本通り」になり、そっちも道路拡幅を狙ってる感じがする。
立ち退かせてまで作ろうとしてる東用水せせらぎ通りと斜め交差する道には先がない。葛飾区細田3丁目付近の道幅なら4車線も可能だが全行程では無理。予想するに昔のよう土地を半分だけよこせなんて横暴な事業はできず1軒の土地全体で建ち並ぶ場所を買い取って立ち退かせたため広がりすぎたのだろう。
大々的な立ち退きを計画してるかもしれない。私が生きてるうちに完了するか不明なくらい何十年もかかるだろうが、JR小岩駅(東京都江戸川区)は車道として閉ざされた場所にあるため南口のバス停も狭いし、北口にはバス停がなく数十メートル歩いて蔵前橋通りに出る必要があるが、イトーヨーカドーの建物周辺は再開発でバスが駅前まで入ってくるまでは近年に完成する。蔵前橋通りより北部へ水戸街道まで太い道路を作ろうと考えても不思議じゃない。
どの道路にも家屋が建ち並んでおり、すごい数の住民を立ち退かせねば北方向へは無理。だから俺が勝手に立てた「東京都500万人削減計画」のほうが簡単だよ。東京に祖先がいないほど重税を課して退居を促す。せめて昭和39年まで戻そうよ。そうしたら道は広くなるよ。税収は減っても効率よく集まってれば何の問題もないよ。だがどこの役所も税収を増やそうとしか考えないため、住民の生活なんて考えず止めどなく人口を増やそうとする。散るのは無駄だが、集まりすぎも無駄。
※ 昭和39年に大きな意味はなくオリンピック開催年で情報が多い。東京都の人口は900万人台だったと思う。
2025-02-17 Mon
「まいろーど四つ木商店街、大きく変わりつつあった」から続く興味。四つ木と立石の間、都道60号、308号線の交差は現時点は踏切のところ、幼少期の記憶で踏切の近くで変なバス停「ヤマト化学」って名前だったの思い出した。記憶だと「科学」じゃないから検索できるのは別会社。千葉県成田市新泉13−1に同名の工場を見つけたが既に会社がなく同じか不明。
下車したこともなく小さな頃だし映像は全く思い出せない。都営東四つ木四丁目アパートが建ってる場所が工場か何かだったんじゃないかな。そこの建物は何か凄いよ。調べると1992年から工事で1996年に完成してるが公営住宅なのに20階と24階建てで四角い超高層集合住宅(タワーマンション)の先駆けな建物だよ。
同時期で思い出すタワーマンションと言えば中央区佃。当時は台場なんて何もなかったから。レインボーブリッジができたのは1993年。ませガキだから都市博とかバカなこと言ってんじゃねーって思ってた頃だな。それより前の出来事じゃ無理だ。10歳頃に脳が大変化を起こすって言われてるから多くが思い出せなくなる。子供の現実と妄想の狭間から現実だけになるから以前の記憶は不確か。
バス停を探ったら現在の渋江公園に改名されてるが、古すぎて以前が何か情報がない。更に検索したら東四つ木2丁目16番14号なる住所もでてきたが、私が場所の記憶を間違えてるかもしれない。マンション建ってるから昔は工場の可能性がある。すると「川端小学校バス停」の旧名だったのか?
もう一つの可能性として当時は都営バスだったかもしれない。なぜなら子供の頃でも確かな記憶として江戸川区にて中川を東側へ渡ったり西側へ戻って中州の島(妙見島)を見ながら浦安駅へ行く都営バスだったが今はそんな路線は無く、都営バスは江戸川区の西部だけ。だから篠田堀親水緑道へ桜を見に行くとき京成バスになるから都営の1日乗車券が使えないって書いた。
東京西部でも都営と並走が東急バスだけになってる。このように誰か忘れたら終わりと細かい記録は失われてきたから俺の大嫌いな言葉「諸説ある」なんて言うようになる。大昔じゃなく近代や昭和時代の話ですら諸説があるのは馬鹿じゃねーのって思ってる。ちゃんと記録してあれば諸説なんてことにはならない。
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