2025-02-17 Mon
「まいろーど四つ木商店街、大きく変わりつつあった」から続く興味。四つ木と立石の間、都道60号、308号線の交差は現時点は踏切のところ、幼少期の記憶で踏切の近くで変なバス停「ヤマト化学」って名前だったの思い出した。記憶だと「科学」じゃないから検索できるのは別会社。千葉県成田市新泉13−1に同名の工場を見つけたが既に会社がなく同じか不明。
下車したこともなく小さな頃だし映像は全く思い出せない。都営東四つ木四丁目アパートが建ってる場所が工場か何かだったんじゃないかな。そこの建物は何か凄いよ。調べると1992年から工事で1996年に完成してるが公営住宅なのに20階と24階建てで四角い超高層集合住宅(タワーマンション)の先駆けな建物だよ。
同時期で思い出すタワーマンションと言えば中央区佃。当時は台場なんて何もなかったから。レインボーブリッジができたのは1993年。ませガキだから都市博とかバカなこと言ってんじゃねーって思ってた頃だな。それより前の出来事じゃ無理だ。10歳頃に脳が大変化を起こすって言われてるから多くが思い出せなくなる。子供の現実と妄想の狭間から現実だけになるから以前の記憶は不確か。
バス停を探ったら現在の渋江公園に改名されてるが、古すぎて以前が何か情報がない。更に検索したら東四つ木2丁目16番14号なる住所もでてきたが、私が場所の記憶を間違えてるかもしれない。マンション建ってるから昔は工場の可能性がある。すると「川端小学校バス停」の旧名だったのか?
もう一つの可能性として当時は都営バスだったかもしれない。なぜなら子供の頃でも確かな記憶として江戸川区にて中川を東側へ渡ったり西側へ戻って中州の島(妙見島)を見ながら浦安駅へ行く都営バスだったが今はそんな路線は無く、都営バスは江戸川区の西部だけ。だから篠田堀親水緑道へ桜を見に行くとき京成バスになるから都営の1日乗車券が使えないって書いた。
東京西部でも都営と並走が東急バスだけになってる。このように誰か忘れたら終わりと細かい記録は失われてきたから俺の大嫌いな言葉「諸説ある」なんて言うようになる。大昔じゃなく近代や昭和時代の話ですら諸説があるのは馬鹿じゃねーのって思ってる。ちゃんと記録してあれば諸説なんてことにはならない。
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