2025-01-13 Mon
例えば事件報道で疑惑のデパートに対して推定無罪もおかしな話であるし有罪と決めつけているわけでもない。世の中には検挙されなかったり無罪となっても無実ではない奴らが多くいる。事件ならば事実が判明していることは少ないので多方面から推測をするのが「ワイドショー」という番組。中身が間違ってるとかじゃなく、ずっと続いてきた方針へ頭ごなしにNOを突きつけるのは、多様性と同義語である“自己中”へと社会が育てたから。自己中が台頭した今は社会的にどうかではなく自分が嫌いならダメとする。
特に問題なのは、たいしてテレビも見たことがない奴らが急にお盆、暮れ、正月や連休に、たまたま見てグタグタ言い始めることだが、テレビより桁違いに えげつない 週刊誌や一般紙ではなく特殊な新聞を初めて読んで文句をつけるようなもの。たとえば、日付しか合ってないと揶揄される新聞の与太話を相手にするのは頭が悪い。
思い出すのが、私がまだ学生時代だったかな? FNS27時間テレビとやらで「北野ファンクラブ」を放送したから深夜なのに苦情がたくさん来たって話があったのだが、放送内容は「いつもと同じ」だった。見たことない奴らが特番で深夜なのに見てしまったから自分勝手に苦情の電話をかけた。
どうすべきか語るならば断片しか見てない「知らない」状態で批評する資格があるとは思えない。だから私はテレビ局が放送もしてる自局の評論番組で、評価のため言われたらから見たって評価人と、そいつらを選んだ局を批判してきた。
たまたま見たとかでワイドショーに対して有名な「ケチつけ専門家」の方が例によって知りもしないくせにSNSに文句を投稿。阿呆を相手にすれば誰でも論破できるわけで、その筋の人から「ぐうの音も出ない」こと書かれてきて反論の言葉もないお方の投稿だけに笑えると言っても嘲け笑い。
視聴者、読者としてそう感じてきたから自分も知らない世界には手は出せない。ワイドショーを批判する一つには「知りもしないゲストにコメントを求める」ことだ。国民の一人としての意見ならば良いのだが、そうじゃなくても振るから困る。たとえばスポーツ一辺倒で育った世間知らずによる訳の解らない回答には用がない。
専門家の話を短くしてまでゲストに話をさせようとするから特に大阪のワイドショーの司会者が嫌われるのは当たり前。視聴者として聞きたいのは専門家の話だから司会者の出しゃばりでもない。
週刊誌や新聞、テレビのワイドショーなどの異常体質をどうすべきか? スタンフォード大学の監獄実験にあるよう役割を与えられると従順になり、果ては異常性を伴うまでになる。
週刊誌記者の犯罪まがい行為やら異常行動、映像に残るため記者会見場で不道徳を繰り返す有名なイカレ記者とか野放し状態。プロになると言うよりも狂うと考えたら数年単位で職種の入れ替えが必要なのがマスメディアという業種ではなかろうか。
最近は制作費を浮かすため、事件報道、ゴシップ、芸能(宣伝)、スポーツ(宣伝)、事実上の企業宣伝、通信販売を合体させ長時間化にて何の番組だかわからない。
社会的にどうであるかを考えてるのではなく、社会性がない人達によって自己中化が劇的に進み、「○○ハラスメント」なんて本当の事件は少数であり、大部分は自己中心的に嫌なら何でもハラスメントにしやがって、それにマスメディアや政治も流されやがってるから困る。
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| emisaki | 2025-01-13 Mon 16:16 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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