2025-02-09 Sun
道路を片側通行にして工事してたのも思い出すから自分の年齢をすりあわせて下水管は既にあったとしても電話だの何だのって共同溝は大通りの下ならやってたでしょうね。それは大通りの話であって住宅街のほうでは私が小さな頃に下水道が整備されたため、当初は糞尿は地下タンクで汲み取り式。だから私道部分は数十万円を負担したとか後で聞いた。
丸八通り(都道476号)って途切れてたな。平井駅の東側の「ゆりのき橋通り」もなくて立ち退きをさせてたような状態の記憶がある。平井駅すぐの「平井駅通」も「ゆりのき橋通り」と交差して先にあったこと示してる。総武線の高架下に「行徳道」ってGoogleマップにあるが、地図で直線を引くと「今井街道」になる。
江東区で首都高速道路7号線となってる脇の「旧千葉街道」も東へ旧中川を過ぎると北東へ直線的に「市川橋」の西側に繋がってる。なぜ急に北東へ向かうかを妄想すると投稿時点での江戸川区役所が葛飾区境界から700mであるよう昭和時代に入っても江戸川区の南部が泥沼だったよう通る必要がなく、千葉県へも市川橋しかなかったのではないか?江東区は埋め立てで広がったが江戸川区は湿地帯の造成で倍増。
ほかにも荒川放水路を作って橋もかからず途切れた街道がありそう。
江戸川区役所があるから計画が立ったのでしょうが小さい頃まで住んでて知ってた頃には細い道だったのが拡幅された。長年かけて1km区間で立ち退き、東側から先に道幅が広がってた。ずっと前から区役所の移転が決まってたはずだが、もっと前に道路計画されてしまったのだろう。立ち退きは地獄、幅広な道路前になった家は天国か。
ローソンの手前(南側)の道だが Googleストリートビュー で見えるよう南から右折して入ることができないのも、現状で交通事故を誘発させるべく作ったような悪い五叉路になった八蔵橋交差点。旧千葉街道を北へゆくと、車道として8つ叉の菅原橋交差点がある(8つ叉:一方通行を含み、すぐ行き止まりと歩道を除く)。
立ち退きというある種の犠牲は大都会なら多いが、中には意味が薄すぎる道路建設もある。都会だけじゃなく数階建てのビルはごく一部だけの地域ですら役所の移転で役所への道路を作りたがるため立ち退きが見られた場所もあった。
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